灰とダイヤモンド(1958)
第二次大戦初期にヒトラーとスターリンにより分割され
終戦時には国民の『独立』という夢も叶わず、ソ連軍の手により
臨時政府が成立したポーランド。
反対した亡命政府系の残党は、以後地下に潜入し、テロやゲリラ内戦に
突入していった・・・
欧州戦線が実質上終結していた1945.5.5、ワルシャワ南部の地方
反ソ派テロリストのマチェックは長い間、地下水道に身を潜めていた為
目を傷めてしまった。彼は同士のアンジェイと共に
ソ連から来た共産地区委員長暗殺の指令を受ける。しかし誤って
別の男を殺してしまう。
何とかして本物に近づき、暗殺の機会を狙うマチェクだったが
待ち合わせのホテルのバーでウェイトレスのクリスティーナに
恋したことから、レジスタンスへの疑問がわきはじめる。
それはマチェクだけではなく、他のレジスタンスも同じ思いだった
マチェクは暗殺を執行するが、そこに待っていたのは自由ではなかった・・・
(原題名:Popio I Diamont (Ashes and Diamons)
監督:
アンジェイ・ワイダ
脚本:原作
ジューイ・ アンジェイスキー
出演:
ズブニエル・チブルスキー
(マチェク・ケルミスキ)
エヴァ・クルズースカ
(クリスティーナ)
ワクラウ・ ザストジンスキー
(シュツースカ)
アダム・ポーリコスキー
(アンジェイ)(デュノウスキ)
ズビグニュウ ・スコウロスキ
(ホテル・マネージャー)
REVIEW(*****)
確か『国内配給期限が切れる』というので慌てて見にいったのが
数年前。ロードショー映画なんかアタマからブっとんでしまう程
モノクロのリバイバルで衝撃を受けたのは『太陽がいっぱい』
以来だったかもしれない。
あれから数年たって、『テロ』という言葉を頻繁に聞くように
なった世の中となり、この映画がTVにかえってきた。
『世代』『地下水道』に続くアンジェイ・ワイダ監督の
“抵抗三部作”の中の傑作で、監督も主演のZ.チブルスキーも
実際にレジスタンスに居たという、ヘタな作り物も、
コトのさわりだけ撮ったドキュメンタリーも威力をなくす
説得力がある。劇中に、戦いそのものに疑問を抱き、本来、自分が
戦ってきた目的は平和のためだったのではと部下が上司に
問いただす場面で『上司は部下の言葉を無視することができる』
といった場面は、今のテロも軍隊も抱えている矛盾した疑問だろう
長い間、地下水道に居て目を傷めたマチェクがいつも
サングラスをかけてるわけを聞かれ
『報われぬ祖国に対する愛のあかしさ』とこたえるところもいい
冒頭で日のあたる場所で目を閉じてつかの間の自由を満喫する彼が
尚更哀しくも見える。
テロである故に恋もできない。明日の自分が灰になるかダイヤになるか
それすらも判らぬまま、生きていくのがレジスタンスなのだと。
そして、ラストに衛兵に追いかけられゴミにまみれて死んでいくシーン
は映画史上忘れられないラストの一つである。
Z.チブルスキー本人も39の若さで劇的な死を遂げたことから伝説と
なったのだけれど、今生きていればどういう映画をとったのだろうか。


ハリケーン(2000)
'63年、僅か1ラウンドでウェルター級チャンピオンに輝いたR=C=ハリケーン。
が、彼の人生は三年後たった一つの、いわれなき汚名で一変する。
故郷ニュージャージーで三人の男女がバーで殺された事件で
容疑者として逮捕された彼は、人種偏見を持つ刑事、ペスカの
息のかかった裁判の結果、有罪判決を受け、終身刑となる。
無罪を主張し、自伝の執筆を続ける彼。
'74年に発売された自伝は高く評価され、B.ディランやM.アリなどが
釈放運動に尽力を注いだものの、地元の裁判では有罪。妻も彼の元を
去っていき、彼の名は忘れられていった・・・
事が風化しようとしていたその時、トロントでカナダ人の環境
グループと共に生活する黒人のレズラが、カーターの自叙伝を
 古本屋で手に取った。
11歳から少年院で暮らしたカーターの生い立ちはレズラが、アルコール
依存症の両親の元で育ったものと共感するものがあった。
逆境にあっても気高さを失わない、カーターに共感し、手紙を送る
レズラ、そしてカーターからの返事が来たことから、彼の誰もが
あきらめていた釈放運動への扉が今開かれようとしていた・・・
(原題名:The Hurricane)
監督:
ノーマン・ジュイソン
脚本:
アーミアン・バースタイン
ダン・ゴートン
出演:
デンゼル・ワシントン
(ルービン・”ハリケーン”・
カーター)
ヴィセラス・レオン・
シャノン
(レズラ・マーティン)
ジョン・ハンナ
(テリー・スウェイトン)
デボラ・カーラ・
アンガー
(リサ・ピーターズ)
リーブ・シュレイバー
(サム・チェイトン)
デビ・モーガン
(メイ・セルマ)
ダン・ヘダヤ
(ヴィンセント・
デラ・ペスカ)
ロッド・スタイガー
(サロキン判事)
REVIEW(****)
企画のスタートした六年前から役にアタックし、一年かけて、冒頭の
ボクサーの体型を作り上げたというデンゼル。
彼の作品は、そういうバックグラウンドが見え隠れ
するものに秀作がある。
B.ディランの『ハリケーン』に乗せて意気揚々と
登場してくる、冒頭のファイティングシーン
そして、冤罪で一生を牢獄で暮らせと宣告された時の
憎悪と絶望感を彼から引き出した監督の手腕はまだ無名
だった彼を『ソルジャーストーリー』で抜擢氏名した
監督の目にあるのかもしれない。
それでいて、レズラに接するときのカリスマ性溢れる
デンゼルの存在には、映画館で見た時は引き込まれる思い
だったのを覚えている。もしかしたら、助かるのかもしれない
・・・そう思い、レズラが、偏見の多い州裁判から、一回
有罪を受ければもう戻っては来れないが、偏見はない
連邦裁判に持ちこむと聞いたとき、躊躇する弁護氏に向かって
彼は、叫ぶ『もう時間がないんだ・・・ここからだしてくれ』と
カーターから人生を学んだレズラ、レズラから希望を勝ち取った
カーター、連邦裁判の前夜、カーターはレズラに言う、
自分の名前と彼の名前をつなぎ合わせると、聖書では
『死からよみがえったわが子供を見よ』という意味になるのだと
それは、『偶然の出会い』でなかったといいたかったのかも
しれない。彼が独房から出る前にコーランを持たせた囚人も
またしかり,ラストで宙を見上げるカーターがまた印象的でもある。
本当の戦いはこれからということなのだろうか。


フォッグ・オブ・ウォー
マクマナラ米元国防長官の告白(2004)
JFKとジョンソンの時代に国防長官を務め、世界銀行総裁を務めた、R=S=マクマナラの
ドキュメンタリー。ハーバードの史上最年少助教授から第二次世界大戦では
統計学を使い、東京大空襲に関わることとなる。
大戦後、フォードに入社、60年には一族以外の初の社長となるが、数ヵ月後に
史上最年少の米元国防長官に。七年の任期中に、ベルリン封鎖、キューバ危機、
ベトナム戦争を体験するも、ジョンソン大統領との意見の相違から、ペンダコンを去る
'68年に世界銀行総裁となり、'81年に退任。退任後はレーガン政権のアドバイザーを務め
核軍縮を中心に活躍、'90年代にはかつての敵国ヴェトナムやキューバを訪問、
スーパーエリートの名を欲しいままにしてきた男が語るアメリカの歴史は
『自らを振り返る11のレッスン』にあった。
そして『人の本質を変えらないのだから、戦争は終わらない・・・』のだと・・・
全ての戦争は『フォッグ・オブ・ウォー(霧の中の戦争)』だ、予期は出来ない・・・と。
(原題名:The Fog Of War: Eleven Lessons from the Life of R=S=McManara)
監督:
エロール・モリス
REVIEW(*****)
『13デイズ』でキューバ危機を判った気になってる人は見て欲しいという
キャッチに惹かれて見にいったマクマナラの自叙伝。先に見にいった
『華氏911』よりヨッポド内容があってよかったです。
これを長いととるか、普通の長さと取るかは、この時代に興味があるか否かでしょうね。
マクマナラが東京大空襲に携わってたのも初めて知ったし、また、彼自身
『何故アメリカは恨まれるのか』をこの11のレッスンではっきり述べているのにも
関わらず、彼自身から『謝罪』の言葉は一言もないという。
監督のE.モリスは、反戦運動に関わってきた中で、彼のようなスーパーエリートから
このような証言をとると同時に『なんらかの形の謝罪』が聞けると思ってドキュメンタリー
を組んだのだそうけど、一切聞けなかったらしいです。
そこにアメリカの政治家やエリートたちの矛盾があるのではないでしょうか。
また、彼らなりの言葉を借りれば『謝ってすむことであれば、戦争は第一次世界大戦で
終わってるだろう』といいたかったのでしょう。
彼の11のレッスンの中で今でもアメリカが出来てないことが三つある
『戦争にも目的と手段のつりあいが必要だ』
K.ルメイが東京大空襲に飽き足らず、原爆も落とした事実に、『勝てば許される』
どころではない『戦争犯罪を行っている』ものを感じたというマクマナラ。
ヴェトナムやイラクで報復を受けるのは、『つりあいのとれない事』をする
アメリカ人にとって一種の『報復』なのかもしれない
『理由ずけを再検証せよ』
大量破壊兵器なんてあるワケもあるまいし・・・とあちこちの国に撤退されている
今でもこれは通用すると思うし、
『敵の身になって考えよ』
これにいたってはJFKの『キューバ危機』の時だけしか、アメリカ史上やっていない
のではないか、とマクマナラ自身がいったほどだった。そうなのだ。
あのときは本当にラッキーなだけだったと。好戦家でタカ派のルメイを押さえこめる
立場にあり、最高の大統領が居たことが、ラッキーだったという。そして
JFKならヴェトナム戦争が起きなかったかもしれないという事実も・・・。
『JFKという沈み行くアメリカの夢の一等航海士』そう呼ばれたスーパーエリート
マクマナラ、彼は『アメリカがこれ以上恨まれないようなレッスン』を残したかったのだろうか


ビフォアサンセット(2004)
あのユーロトレインでの出逢いから 9年後、ジェシーは小説家として
妻子を抱えNYに、セリーヌは環境問題に取り組むため国際ミドリ十字で
働いていた。
あの日の再会の約束は、セリーヌの祖母の葬儀で果たされないままになり。
2人の再会は、ジェシーが、あの日の思い出をつづった半自伝本を出版し、
そのプロモーションでパリを訪れたときのことだった。
2人に与えられた時間はジェシーがNYに帰るまでの85分。
あの日14時間かかって出なかった答えは出るのだろうか・・・
(原題名:Before Sunset)
監督:脚本:
リチャード・リンクレーター
共同・脚本:
キム・クリザン
出演:
イーサン・ホーク
(ジェシー)
ジュリー・デルピー
(セリーヌ)
ヴァーノン・ドッチセルフ
(本屋の店長)
ディアボロ
(フィリップ)
アルバート・デルピー
(グリルの脇の叔父さん)
マリー・ピレー
(中庭の叔母さん)
REVIEW(*****)
 見終わった直後は狐につままれた状態で『なんじゃぁ?こりゃぁ』で
レビューの評価もかろうじて4つ星状態、が日にち経つにつれ
よくなってきて『かろうじて5つ星』という。
いや、前作の『恋人までの~』を超えられなかったのは正直いって
事実です、それは残念なんだけど、仕方がない。
 それは置いといて・・・彼らが出した答え・・・てのは『人生の
パートナーってお互いのMaritage state(結婚してるかしてないか)
って案外関係ないんじゃないのという。』でもそれには色んな今
障害が世間体としてある。ジェシーは息子への愛はあっても
奥さんへの愛がない、セリーヌは支えてほしくないけど、愛情はほしい。
2人は、これだけ話しててもまだまだ模索中なんだよねぇ。
『幸せ』になることに慎重で、彼らにとって一番大切な恋愛の思い出の
パートナーは崩さないで置きながら、悩みも話しあいたいという
見ていて『おい!そんなゼータク言うんじゃない!』とも思うシーンもあり、
2人がそこまで話せるのは、2人が『行きずりの相手』だからこそ
恋人にも妻にも話せないことを話せるのだろうな、という。
それでいてギリギリお互いが傷つかない範疇で話す2人。
一つ、共通してるのが、両方とも『愛情が欲しい』というお互いから
『貰いたい』という雰囲気なのかも。で、それを気づかずにくれる相手が
この人なんだろうなぁと思い、ジェシーはパリに、セリーヌはあの本屋に
いったのに、ジェシーは『結婚してるのに少年の心で来た』と一蹴され
セリーヌは『俺の人生は24時間退屈だ』といわれ、どうしようかと思う。
お互いが『与えられる』事に気がつけば、それでこの続編はお開きになるのかも
でも、それさえも『怖い』今の恋人達なのかもしれないですね。
余談ですがカメオでJ.デルピーの両親がセリーヌのアパートの中庭で
パーティーをしてるシーンはほほえましかったり。


普通の人々(1980)
エリートで水泳部のエースだった兄が、ヨットの事故で死んだコンラッドは
母親が兄を溺愛していたのを知り、自責の念にかられ自殺未遂を
引き起こす。
何とか、自助努力で学校には復帰でき、父親の助けもあり、定期的に
精神科医に通うことにもなったが、いつも両親に見張られているという
閉塞感と、母親は、いつも旅行に出かけ、たまに帰ってきても
悩み一つきいてくれない状態だった。
父親は、そんな2人の間を埋めようと努力するのだが、仕事にまで支障を
きたすようになる・・・
(原題名:Ordinaly People)
監督:
ロバート・レッドフォード
脚本:
アルビン・サージェント
原作:
ジュディス・ゲスト
出演:
ドナルド・サザーランド
(カルヴィン・ジャレット)
ティモシー・ハットン
(コンラッド・ジャレット)
メアリー・タイラー・ムーア
(ベス・ジャレット)
ジャド・ハーシュ
(タイロン・C・バーガー)
M.エメット・ウォルシュ
(サラン)
ディナ・マノフ
(カレン)
スコット・ドブラー
(ジョーダン・ジャレット)
REVIEW(**)
 監督のR・レッドフォードが38歳の無名の主婦が書き上げた小説を
出版前のゲラ刷りの段階で読んで感動して自らの初監督作品に
選んだのがこの作品。原作を発見してから撮影するまで実に3年かけてのこと。
レッドフォードが特にこだわったのは当時アメリカ社会でこういう形で
表に出すことをタブーとされていた『家庭崩壊』に焦点をあてただけでなく
一見、息子のコンラッドを中心に回るような話の展開を持ちながら、
母親の、完璧主義の狭間に見るいびつな人格が生み出す家庭崩壊を
この頃から切り込んでいる事実である。
母親は『自分の中に見える完璧でない』ことが許せなくて、それを
残されたコンラッドに見るだけの強さがなかった。
今までは、その役目を『自分の中にある完璧』と夫カルヴィンの
もっている包容力を持っていた兄ジョーダンに無意識に甘えていた
自分が許せない。それをコンラッドに『自殺未遂』という形で
自分のふがいなさを責めたてられ母親としての居場所がなくなったのでしょう。
・・・いや、この映画、実は家で一人で見ておりました。
家で見てると母親がときたま見てることもあるのですが、この映画は
多分、母親が気を悪くするだろうな、というアレもあったので。
『愛する、愛される対象』が違うと
家庭もいびつになるということをこれだけ丁寧にかきこんだ映画もない
と思います。日本と違う点は、というとキーファ演じる父親が
何とか息子のフォローをする点ですが、日本は、まだまだこういうコトは
ないですからね。
プロットとしての着眼点はすばらしいのですが、途中中だるみする
シーンも多々あるのでこの点数です。


ボビー・ジョーンズ〜球聖とよばれた男〜(2005)
'30年のアメリカでただ一人グランドスラムを達成した
ゴルファーが、いた。その記録は前人未到そして、未だかつて
どの天才ゴルファーにも破られぬ記録・・・それにも関わらず
彼は生涯アマチュアにこだわり続けた・・・彼の名はボビー・ジョーンズ・・・
'02年南部のジョージア州アトランタの裕福な家庭に生まれたボビーは
生まれつき病弱で、親の庇護の元に育った。ゴルフはコースを歩くことが彼の
健康につながればというのが半分、そして半分は、父親が実業家である
祖父に対してわざと安息日にゴルフに出かけるという反抗心のあわられでもあった。
学生時代好きだった野球をやめさせられた父親にとってボビーは希望の星でもあった。
そんなボビーのこともあり、カントリークラブ13ホール脇に敷地を買い、住み始めた
ころからボビーのスウィングは目を見張るほどに上達していく。
みようみまねで習っていたゴルフは、確実に父親を超え、コースでラウンドを許可される
ようになると上位にいきなり食い込む成績を残した。クラブのジュニア選手権や地方
 トーナメントでもトップアマの上位までいくボビーには一つだけ欠点があった。
つねに完璧を求めて自分に批判の刃をむけすぎるあまりに過敏になりすぎ挫折してしまう。
そんな、ボビーの傍らにいたのが、NY出身のプロ、ヘーゲンと、アマの頃からボビーを
取材してきたジャーナリスト、キラーだった。ヘーゲンは態度こそいい加減だったが
駆け引きにおいては抜群の腕前を見せた。キラーは世間が見方しない時でもボビーの苦悩を
判る数少ない人間の一人だった。
大学に通い、司法試験に合格し、一目ぼれした女性との結婚と名声・・・
だが、彼が本当に欲しかったのは、『平凡なアトランタ市民としての自分』・・・
名声にむしばまれたボビーは28歳を目前にある決断をする・・・
(原題名:Bobby Jones: Stroke Of Genius)
監督:ローディ・ハリントン
脚本:
キム・ドーソン
出演:
ジム・カウィーゼル
(ボビー・ジョーンズ)
クレア・フォラーニ
(メアリー・マローン・
ジョーンズ)
ジェレミー・ノーサム
(ウォルター・ヘーゲン)
マルコム・マクダウェル
(O.B.キラー)
エイダン・クイン
(ハリー・バートン)
ブレット・ライス
(ビッグ・ボブ・
ジョーンズ)
コニー・レイ
(クレア・ジョーンズ)
デヴォン・ギアハート
(8歳のボビー)
ブハ・ルイス
(14歳のボビー)
ダン・オルブライト
(ボビーの祖父)
REVIEW(****)
ジムカウィのパツキン+学生のパーカールックが似合わん・・・つーのは別にして(爆)
や〜ホントにマジで似合わなかったな〜(しつこいよ)役柄で脱色したんだろうと
思うんだけど、もうパツキン役やめた方がいいと思うぞ、ジムカウィ。
  知性で売る俳優が、そんなコトをしてはいけませぬ(しつこいってば)。
  ・・・でもってゴルフはオヤジがすきだったので、好きです。今回、B.ジョーンズ
  というのもあって、興味をもってみてました。
T・ウッズが出てきたときはホントに『B.ジョーンズ、とうとうぬかれるか!』
と、思ったぐらい、それぐらいの記録をわざわざアマにこだわって残したという。
昔のクラブはオソマツだし、(アイアンも木製だから)飛ばないし、オールドコースも
多いからバンカーなんか入ったら出て来れないし(汗)。
ちなみにこの映画の観客はエキストラなんですが、コスチューム着せるのに朝5時半から
待ってもらったとか(爆)。でもって、バンカーショットでジムカウィがナカナカだせない
シーンがあって、皆が『この俳優ヘタクソだな〜』という目でみてたら
『こ、これ演技なんです』とパコーンと出してしまったとか(笑)
その反対にキメる所でハズすシーンもあったし、勿論こういう映画なので、ゴルフ好きの
俳優が集まるワケでボビーの憧れのゴルファーを演じたエイダンは『カメオでいい』
といったホド。でも、一番ストレス溜まっとったんじゃなかろうか状態かも
というのは、ゴルフ狂なのにゴルフシーンのない役のM.マクダウェル(涙)。
今回待ちに待った人格者の役だったので『時計仕掛けの〜』の呪縛が解けたかも
というのが周りの談です。
子役は一般公募で選出したそうですが、14歳役のルイス君はゴルフセンス抜群で
8歳役のデヴォン君は演技力・・・というコトだったそう。
時代設定が大戦前なので、列車もスコットランドを走っている観光列車を使ったり、
駅舎も雰囲気にあったものがないので会議堂だったり(汗)。イロイロ工夫してたみたいです。
 オープニングの美しいゴルフコースはゴルフ発祥の地セントルイスのコースで
今回、ボビーの映画を撮るのではじめて撮影許可が下りたとか。
映画の中のキャラとしては、ボビーよりもサブキャラの方が面白いかも。
ライバル役のヘーゲンが憎めない,酒と女が大好きで、腕がありながら
アマチュアにこだわるボビーに、ゴルフだけで生計を立てている自分を
ナンだと思っていると密かにクギを刺しつつ、後にJ・ニコラウスやT・ウッズも
目標にした『全てのホールでバーディを取り54で回れ』と大口を叩き、
プロがクラブハウスに入れない全英オープンでは高級車をバコバコ乗り付けて
駐禁なんじゃの反抗心。こんなイナセはオトコはもういないかも。
こういう半悪役なキャラがいるからこそ、主役が光るのかもしれないですね。
クライマックスのグランドスラム達成のシーンでは見ていて肩の力がぬけた感じでした。
どっちかというと、男性向けかも・・・?この作品。


パリの恋人(1957)
ニュー・ヨークのファッション雑誌クォリティは看板モデル『ミス・クォリティ』をパリで
探し、パリの世界的デザイナー、ポール・デュヴァルの衣裳でショーを開き
その独占記事で一儲けしようとしていた。
カメラマンのディックに白羽の矢が当たり、彼は古本屋のインテリ娘ジョーを
スカウトする。
最初は、モデル業に全く興味をしめさなかった彼女だったが、
パリには彼女の憧れの「共感主義」の主催者、フロストル教授がいると口説き落とし
つれてくるのに成功した。
が、浮き足たったジョーは早速、パリにつくと画家や詩人など共感主義者のいる
カフェに行ってしまい、大慌て。
『ミス・クオリティ』としてのお披露目の日当日に、教授の講演があると知った
ジョーは、会場を抜け出してしまう。ディックは、教授がまだ30代の若者である
と知った途端、彼の裏心が見えてしまいとんでもないことになる…
(原題名:Funny Face)
監督:脚本:
スタンリー・ドーネン
原作:
レナード・ガーシュ
出演:
オードリー・ヘップバーン
(ジョー)
フレッド・アステア
(ディック・アヴェリー)
ケイ・トンプソン
(マギー・プレスコット)
ミシェル・オークリー
(エミール・フロストル教授)
ロバート・フレミング
(ポール・デュバル)
REVIEW(***)
原題名が『Funny Face』となってるので『オードリーを
つかまえておかしな顔だなんて〜!』と見てるサイドとしては
ハラハラしてしまいそうなアレですが、当時は、オードリーが
アステアに共演を頼み込んで実現したというこの企画。
全盛期を過ぎているとはとても思えないほど、アステアのステップは
軽やかでエレガント。G・ガーシュウィンの名曲の数々にのせて
優雅に踊りこなしていきます。
写真撮影と視覚コンサルタントは当時有名だったR.エイヴェドンが
担当し、衣装をジバンシーとイディス・ヘッドが共同制作した
ことでも名前が知られました。
『古本屋の女性を連れてきて、一人前の淑女にする』というくだりは
同じく、オードリーの主演の『マイ・フェアレディ』にそっくり
というアレもあるのですが、こちらは、アステアのダンスと
主人公のジョーの自立心がしっかりしてることかもしれません。
それと『マイフェア〜』と違い、オードリー自身が歌っていることも
大きなポイント。テーブルクロスをまきつけて唄うシーンなんて
得にオシャレ。オードリーとアステアのダンスシーンは、
オードリーも元々バレリーナを目指していただけあってやっぱり
エレガント。あの黒一色のタートル+パンツが似合うのが何よりの
証拠かも。


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