コヨーテアグリー (1999)
ウブだけど、好奇心だけはあるヴァイオレットはシンガーソングライターを
めざしてニュージャージーからNYへ渡り、デモテープを送る毎日。
しかしどこからもいい返事はかえってこず、音楽関係のエージェント
と間違えてテープを渡したのは、バーの見習いコックのケヴィンだった。
しかも彼女は肝心のお客の前では声がでない。アマチュアライブにも
失敗し、空き巣に入られ一文無しになった彼女が夜明けのカフェに
いくとそこでは、大金を分け合ってる女性の姿が。
マスターに聞くと、彼女はバー『コヨーテ』。バー『コヨーテアグリー』の
スタッフ。派手なパフォーマンスと出すドリンクはストレートのみで
不夜城になるバー。溺れるモノは藁をもつかむ気持ちでヴァイオレットは
コヨーテをたずね、働くことにする。
最初は下戸の上、客の注文もろくにとれないヴァイオレットだったが
慣れてきたころに、あの日の見習いコック、ケヴィンが現れた。
何か力になりたいというケヴィンと彼女の間は近づいていく・・・
(原題名:Coyote Ugly)
監督:
デヴィット・マクナリー
脚本:
ジーナ・ウェンドゥ
出演:
パイパー・ペラーボ
(バイオレッド・サンフォード)
マリア・ベロ
(リル)
アダム・ガルシア
(ケヴィン・オドネル)
ブリジット・モイナハン
(レイチェル)
タイラー・バンクス
(ゾーイ)
イザベラ・ミコ
(キャミー)
ジョン・グッドマン
(ビル)
REVIEW(***)
実在するNYのバーをチョいと『美化』して映画化したオハナシ。
『コヨーテアグリー』の意味はというと、罠にかかったコヨーテが
傷ついても罠を食いちぎって逃げていくのと同じで
酔っ払って、朝気がついた見知らぬ男が寝ていたら、その男を
ひっぱ叩いてでも逃げていく・・・というコトから来ているモノ。
そんなエピソードにふさわしく、『カウンターにたってアバズレに
なれないオンナはクビ!』という中、どうしても、主役の
ペラーボだけがミスキャストなのよねぇ。今回の減点理由を
大きく引きずっているとアメリカのレビューで酷評されているのに
彼女のミンミン声とアホ丸出しの笑顔はナンとかならんだろか?
これが日本人だったら『アホかー!ひっこめー!』と大声あげて
ひっぱたいてるに違いない管理人。
なんちゅーの、そんな『ベタっちい愛想』振りまいて生き残れる
土地柄じゃねぇだろ、そこは!とツっこみたい(汗)
日本のイマドキのPCに向かってシゴトしてるOLじゃあるまいし。
さすが、『ノー天気ヒットメーカー』J・ブラッカイマー
どのダンスもの作ってもアナタのあたり作『フラッ○ュダンス』に
なってしまうワケやね。あの時はダンスが吹き替えで今回は
歌がクチパクかい。え?さっきからイヤミばっかり言ってるて?
ブラッカイマー映画だからやっぱり問題点だらけのラストで
あの後ヴァイオレットが成功するんかとか、ケヴィンて
戻ってくるんかいとか、彼女の父親や許してくれるんかい・・・と
モロモロあるんだけど。そこら辺は考えてないんだろうなぁ。
そうした中、このハナシでブレイクしたのが、A.ガルシア。
さすがプロのタップダンサーだけあってやっぱウマいす。
得意技の『ホットケーキ焼き』を見れなかったのが残念だけど〜


この胸のときめき(2000)
建築家のボブは動物学者の妻エリザベスを交通事故で
なくしたばかり・・・二人の夢はリンカーンパークの動物園に
新しいゴリラ館を立てること。その建築パーティーを
開いた矢先のことだった・・・一番幸せになるはずの夜は
孤独へと代わり、ボブの暮らしは日々すさんでいった。
同じ頃グレースは心臓移植でしか助からない心臓病で
悩んでいた。もう助からない・・・そんな時、脳死状態の
誰かから彼女に移植があった・・・
そして一年後、グレースは元気になり祖父のいる
イタリアンレストラン『オライリーズ』で働き始める
そして、ドナーの遺族に手紙を書く決意をしたのだった
その一方、ボブのすさむ生活を見かねたエリザベスのかつての
同僚チャーリーは、『オライリーズ』に美人の弁護士を
つれてきて引き合わせると言い出す。
が、そんなことはうわの空のボブの目にグレースの姿が
うつった・・・
(原題名:Return To Me)
監督:脚本:
(メーガン)
ボニー・ハント
出演:
デヴィッド・デュガヴニー
(ボブ・ルーランド)
ミニー・ドライバー
(グレース・ブリッグス)
キャロル・オコナー
(マーティ・オライリー)
ロバート・ロジーナ
(アンジェロ・パディピロ)
デヴィッド・アラン・グリア
(チャールズ・ジョンソン)
ジェームス・ベルーシ
(ジョー・デイトン)
REVIEW(*****)
 実はコレが一番最初に書いた映画レビューで、こういうコーナーを
作るきっかけになったともいう(爆)
ボニー・ハントが監督、脚本、助演と、いろいろ才能を発揮してるのも
面白いし、女性がプロデュースしたり、監督すると、どうしても
メロドラマかコメディに走るところを、あっさり描いているところが
よかったです。
勿論『モルダーがロマンスものか〜』という動機で見に行ったという
のが最初のアレなのですが(汗)ハデじゃないキャスティングも
見ていていがったかもしれないです。
前の上司が大の映画嫌いなのに、コレみておいおい泣いちゃってねぇ
『かわいそうだ』と。ソレも知らないウチに高得点つけてしまう
管理人の考えた方はオトコなんでしょか?


雲の中で散歩(1996)
戦地帰りの軍人ポールはバスの中で裕福な葡萄園の令嬢、ヴィクトリアに
出会う。彼女は父親が誰かも分からない子を授かっている身で葡萄の収穫と
厳格で保守的な父に逢いに行く為に帰省する大学院生だった。
カリフォルニアに妻を置いてきて、前線から自分の人生観がかわりつつある
という手紙を何通も書いたのにもかかわらず、ナシのつぶてだったポール。
彼女に親近感を抱いたのかプロポーズするが、父親のアルヴェルトは猛反対。
彼女の家族も驚きの色を隠せない中、祖父のペドロはポールを気に入り家族
として迎え入れる。
ポールはペドロを通じて家のものと何とか上手くやっていけるようになったが
ポール自身としては、まだ心にしこりが残っていた・・・
(原題名:A Walk On The Clouds)
監督:
アルフォンソ・アラウ
脚本:
ピオロ・テリーニ
出演:
キアヌ・リーヴス
(ポール・サットン)
アイタナ=サンチェス
ジオン
(ヴィクトリア・アラグ)
アンソニー・クイン
(ドン=ペドロ=アラグ)
ジャンカルロ・ジャニーニ
(アルヴェルト・アラグ)
フレディ.ロドリゲス
(ペドロJr)
REVIEW(***)
 この時代は、ヒッチハイクして気軽に行けるというのも伺えると同時に
家庭がまだ『古きよき時代』を保っていたころの、ハナシなんだなぁと。
(・・・ても、いきなり現れた兄ちゃんに一人娘を『お嫁さんに下さい』じゃ、
今でも、親は心臓発作モノだと思う,ゴーインに判ってしまうA.クインに(汗))
このハナシのコンセプトがポールが保守的な葡萄園の収穫祭を通じて心を
解きほぐす・・・というタダのハッピーエンドなら説得力にに欠けるものだった
かもしれないけれど、ラスト近くで、『傲慢』という名の炎の元に全てを失った
一家とトラウマを克服したポールが風の様に希望を運んでくるシーンは、この話の
最大のポイントであり、『ハッピーエンド』に終らない作品にしたな〜と。
キアヌはこうした、『人の間を吹き抜ける風』の様な役を演じたら右に出る
ものがいない役者になってきたと思います。凡作と秀作の間を行き来してる
とか、何とかいわれようと、どこからともなく現れて、カンカンに怒る事も
なく確実に何かを変えて人に接していく。
『風』がその形態によって『偏西風』にも『そよ風』にもなる様に。
A.クインは、ナカナカこうしたいい役で見られることがないので、
嬉しかったです。アイリッシュメキシカンのいいスタイルをやっと銀幕に
いかせる時代になっての御逝去なだけに.


交渉人(1998)
 やり手の警察交渉人ダニーは、年金基金の横領と、それに伴う殺人事件の
犯人に仕立てられてしまう。
誰もが疑いの目を向ける中、ニーバウム警視が、この事件に深く関与してると
睨んだダニーは彼に交渉に行くが、逆に冷静さを失い、人質をとりビルに
立てこもった。
彼の脳裏に浮かんだ唯一の、無罪を明かす方法は只一つ、
違う地区担当で頭の斬れる交渉人を指名する事。
この地区の者の中に犯人が居ると考えられるこの事件では、それ以外に
公平を示す手立てがない。
 ダニーは隣の地区で働く熟練の交渉人、セイビアンを指名する。
それは真実を解き明かす為の第一歩に過ぎなかった・・・
(原題名:The Negotiator)
監督:
F=ゲーリー=グレイ
脚本:
ジェームス・デモナコ
ケヴィン・フォックスJR
出演:
サミュエル=L
ジャクソン
(ダニー・ローマン)
ケヴィン・スペイシー
(クリス・セイビアン)
デヴィド・モース
(アダム・ベック)
ロン・リフキン
(グランド・フロスト)
J.T.ウォルシュ
(テレンス.ニーバウム)
ジョン・スペクター
(アル・トラヴィス)
REVIEW(*****)
う〜ん、ナンか、某松竹系の予告でみて『コレはいける』と思い、
本編を見て、ぐぐっと来て、またヴィデオ借りてTVで何回も見てるという(爆)
只今、レビュー起こしのためにもう一回見てるのだけど、とばすトコが
ないんだわ、この映画。じ〜っとみてしまう、ジミな映画なのにナゼだろう。
『弁護士モノ』や『警察モノ』は途中『とばせ〜』になるのに、
この『見てしまう』ノリは『フォンブース』に近いモノがあるかもしれない。
ので、この手の映画が好きで、セリフにトリックのある映画が好きな
方にオススメざんす。
今までサスペンス映画は何本も見てきたものの、『シェーン』を引用する話に
巡りあったことはなかったという。
それがダニーの無実をとく鍵になるのが、意外や意外。
聞き逃しは出来ないです。
ダニー:西部劇は好きだな『シェーン』みたいなやつが
セイビアン:そりゃぁいい、主人公が最後に死ぬ所がな
D:何言ってやがる?シェーンは夕焼けの中、馬にのって子供の
『Shane,Come Back!』ていう声を背に消えていくんだろ?
S:そりゃ、世間様の誤解って奴だ。ラストでシェーンは撃たれて死んでしまう
D:知らなかったぜ
などなど、共演俳優ふたりが、『評決のとき』の共演以上の演技を
見せてくれた御蔭で、話がまとまって最後までじっくり見れる
ようになってました。
話し作りになりました。


コンドル(1975)
ターナーはアメリカ文学史協会という、実はCIAの下部組織で、
情報部17課第9班の名称を持つ末端の秘密情報機関に勤める
通称『読み屋』。8名のスタッフと共に世界中から収集された
ミステリー関係の小説・雑誌類を解読し、コンピューターに入れることが
任務である。
クリスマス・シーズンで賑わうニューヨークの昼間
昼食後、ターナーはスタッフの昼食の買出しのためにこっそり出ていった。
その後、突然3人の男が乱入し、マシン・ガンでスタッフを皆殺しにした。
ターナーが戻ったときは、同僚の残惨死体だけが残され、3人の男の姿はなかった。
ターナーは表に走り、公衆電話から自分のコードネーム“コンドル"を名乗り、
CIAのパニック・センターを呼んだ。報告を受けたCIAでは、ニューヨーク支部長ヒギンズ
が調査にあたることになり、指定した場所にターナーの友人サムとワシントンの情報部の
ウィクスも同行することになったが,サムをウィスクに殺され、何も判らぬまま
通りすがりの写真家キャシーのアパートにターナーは身を隠すことにする。
自分は何故狙われているのか?CIAに何が起こったのか・・・
(原題名:Three days Of the Condor)
監督:
シドニー・ポラック
原作:
ジェームス・グランディ
脚本:
ロレンツォ・センプル・ジュニア
デイヴィッド・レイフィール
出演:
ロバート・レッドフォード
(ターナー)
フェイ・ダナウェイ
(キャシー)
クリフ・ロバートソン
(ヒギンス)
マックス・フォン・シドー
(ジョベア)
ジョン・ハウスマン
(ウォルシュ)
アディ・パウエル
(アドウッド)
REVIEW(****)
う〜んやっぱり好きだわ、レッドフォード。
『スパイゲーム』公開時、この作品がよく比較としてだされたものの、
これは、やっぱり違うな〜って。レッドフォードの方が、硬派な主人公
として描かれてるところに惹かれる。
また部署のメンバーが全員殺されるシーンでも、あくまで一人ずつ
なんですよねぇ。今のハリウッド映画って、ドカドカ弾丸つぎ込んで
人を人とも思わない殺し方の映画が多すぎる。
『CIAのアナリストは、みんなJ.ライアンみたいだ』
と思ってる方は、その考え捨てて見ましょう(爆)
『一体、何のために』と見てるサイドに思わせる事がかけてる中、
そういう配慮ができていた時代の映画だと思いました
ジブンだけが生き残り慌てて公衆電話から本部にかけるシーンも
本物のCIAで普段は『情報センターのオタク』だったら、こうなる
だろうし、あまり『ありえない』ものを書きすぎるよりはずっとよかったです
F.ダナウェイと、そうそう簡単にロマンスにおちないストーリー展開も
『男の意地』が見え隠れしていい。それで最後の最後で『一緒に
来てくれないか』といわれたら、そりゃぁF・ダナウェイでなくてえもねぇ。
彼女の衣装もシックでまたステキでした。あの頃にしては珍しく、彼女の
アパートがフランスを意識したインテリアのつくりになってました。
どちらかというとA.エーメにイメージとして近いかもしれない。
ただ『犯罪小説を読んだだけ』で身につけたという設定で動く、
レッドフォードの手口が実にミゴトで鮮やか。
そんな二人を超える名演を見せたのが、M=V=シドー。
淡々と、次々変わる雇われ先の仕事をこなし、レッドフォードに、いづれは
お前も私のようになるかもしれないと何気にいうシーンが印象的。
ラストシーンには、『男の夢』・・・というか『正義を真っ当する事が
今でも昔でも難しい』ことの夢を描いたのだと思います。


コラテラル(2004)
マックスはロスで12年間平凡なタクシードライバーとして暮らしきた。
洗練された顧客だけを乗せるリムジンドライバーになる夢も半ば諦め
そのバックシートに乗せる客は、単なる生活の糧にすぎない。
いつものようなある晩、彼は難事件を抱える女性検事アニーを乗せる。
普段は、お客に構うことのない彼が、いつになく、本気で慰めた。
そんな彼に、アニーは自分の名刺を渡す。
一夜の、夢の実現に酔いしれるのもつかの間、彼は、白髪交じりの銀髪に
あごひげを生やした男ヴィンセントを乗せることになった。
ヴィンセントは、今夜中に五箇所回りたい、もしまわれたら600ドル
 用意すると、持ちかける。
夢の実現に、話にのらされるマックス。
が、最初に回った所から、死体が車めがけて降ってきた所から
話は、一変した。
ヴィンセントは、麻薬組織に雇われた殺し屋だったのだ。
翌朝までに、麻薬シンジケートの裏切り者と、シンジケートを
起訴しようとするもの、あわせて五人を闇に葬ること・・・
それが彼の任務だった。
マックスは、タクシーに死体を積まされ、夜のロスを
走らされることとなる・・・
(原題名:Collateral)
監督:
マイケル・マン
脚本:
ステュワート・ビーティー
出演:
トム・クルーズ
(ヴィンセント)
ジェイミー・フォックス
(マックス)(アニー)
マーク・ラファロ
(ファニング)
ピータ・バーグ
(リチャード・ウィダー)
ブルース・マクギル
(ペドローザ)
REVIEW(****)
昨今のクルーズの映画ってナンだか本人が『ムリしてるなぁ・・・』
というか見ててかわいそうになってくるものが多かった。
『アイズ・ワイド・シャット』以来、クルーズの映画は、劇場で
見るものは選ぶようになったし、彼らしさが出てなかったり、
自分の持っているクルーズのイメージを大切にできない作品だったら
映画館で見るのはやめようと思っていた。
『ラストサムライ』のような大作であってもそれは例外ではなく。
『ザ・エージェント』のようにスカっと胸をうってくれる彼の作品か
また違うアプローチを待ち続けていたのかもしれない。
そういう意味においては、この映画は、クルーズ、チョっとだけ
前進したなぁ、と思った映画でもありんした。
銃の構え方が、あんまりサマになってないとか、そういうコトはヌキにして
殺し屋で、あの『クルーズスマイル』でちゃったらタイヘンだろうな、と
思ってみてたら、もうズバっと抑えてて、今までの『ガンガンにガンバってる
クルーズ』から一変して、『抑えてガンバるクルーズ』に変えてみた
のがチョっと、嬉しい。
それを支える脇役も、またよかった。ジェイミー・フォックスも
クルーズがあわや喰われてしまうかというほど芸達者だったし、昔はこれぐらい
芸達者な役者と組むのをある意味においてクルーズは嫌がったのだけど。
話の筋として、マイケル・マンは、製作者によって七変化する『男を描く監督』
 と思いやんした、昔でいうなら、ウォルター・ヒルみたいなものですね。
組む製作者によって軽くもなり、重くもなる。
 今回は、いい方向へ出てくれたと思います。
キャラクターとしては、ヴィンセントもマックスも置かれた環境は違うといえども、
人との距離をつかむのに苦労してきたことには変わりないのではないでしょうか。
それをお互いの中に感じてしまったときから、全てが狂いだしてしまう。
ただ、『後ろに乗ってる客は、お金をおとしていくだけの存在と思えばいい』
と思っていた、夢を家族にも偽っていたタクシードライバーと、ダレにも氏素性は
明かさなくともやっていけると、思っていた殺し屋は、人生を分け与えあったときに
それぞれが、かわっていってしまう。
『コラテラル』には『二次的に巻き込まれる』というだけでなく『見返り』や
『犠牲』という意味も含まれている。
ヴィンセントとマックスは、金銭だけでない『見返り』を期待したために
『犠牲』を払わざるをえない結末を迎えたのではないだろうか。
『地下鉄で死んだ男がいる・・・だが誰もきづかない・・・』
ヴィンセントのこの言葉はあまりにも哀しすぎる。


恋人までの距離(1995)
ブタペストからウィーンにいくまでの列車の中で
ひょんなことから、アメリカ人のジェシーと、フランス人の
セリーヌは、隣り合わせに座ることになり、喋るうちに
お互いの気があってきた。
セリーヌは、そのまま列車にのり、パリに帰る予定で、ジェシーは
ウィーンで一晩すごした後、翌朝の飛行機でアメリカに帰る予定だった。
が、ジェシーの雰囲気に惹かれたセリーヌは、ジェシーの、
『14時間だけの恋人同士でいよう』という提案にのって列車を降りる。
一緒に食事をし、ぶらつきながらお互いのことを話すうちに、
 二人は、実は共通の目的を真に秘めて旅行していた理由を、
解いていく・・・。ジェシーはスペイン留学中の彼女にフラれた傷心旅行、
セリーヌも半年前に彼と別れた傷は癒えていなかった・・・。
行きずりの恋になるのか、一生の思い出になるのか、その答えは
夜明けの列車の汽笛が知っていた・・・
(原題名:Before Sunrise)
脚本:監督
リチャード・リンクレーター
共同脚本:
キム・クリザン
出演:
イーサン・ホーク
(ジェシー)
ジュリー・デルビー
(セリーヌ)

REVIEW(*****)
『友達以上恋人未満』が流行した時期があったのですが、
それは、『たった一人に対して、きちんと誠をつくして出来る』と
『恋人同士の距離』はとれる・・・んじゃないかな・・・と思ってたら
この映画がやってきた当時。いがったすね。
でもって今回、続編が公開されるというので、楽しみにして、
地上波放送されたので、やっと見直す機会ができました。
う〜ん、いいざんすね(しみじみ)。ロマンスものがあまり
すきじゃない、管理人なんですが、ベスト10に入る作品です。
これだけ二人の価値感が、違うのに、ケンカもしない。
お互いの価値感に、『距離感』というモノと、聞く耳は持っている
アメリカ人と、フランス人という設定が面白いです。
二人が、失恋旅行で来たという、ベースがあるからこそ、
いざ、相手を目の当たりにしたときに、相手がどんな人生観を
持っているんだろう、と聞いていくのが、いいなぁと。
昔から『恋は盲目』というのがあって、恋すると、多少の短所が
見えなくなってしまう人もある、その一つが『人生観の違い』
を見抜けないことかもしれない。
だから二人は、列車に戻るまでの時間、人生観を話し合い、
『賭け』をしたのかもしれない、どちらかが『行きずりの恋』で
終わらせよう、と言い出すか、『また逢おう』というか・・・。
その結果を出さないで終わる、そして、この映画がネット全盛期に
作られていないことを何より幸せに思う。


キーラーゴ(1948)
フロリダ半島の南の小島キー・ラーゴに、フランクが復員してきた。
イタリア戦線で失った部下の父テンプル老人と部下の未亡人ノーラが島で
唯一の『ホテル・ラーゴ』を経営していたからである。
ハリケーンも近いシーズン・オフ。客はブラウンという男を頭にする5人の怪しい男たちが
ゲイという女を連れて泊まっているだけだったが、フランクはブラウンが有名なギャングの頭目
ジョニイ・ロコであることを知る。今夜限りで引き揚げるというロコは、テンプル老人や
ノーラを縛り上げ、脱獄インディアンを探しに来た保安官の部下ソウヤーを殺して、
ギャング内での取引を待ち始めた。
戦争のためひどい虚脱感に陥っているフランクはそれを見て何の反応も示さず、
ノーラはその腑甲斐なさに歯ぎしりする。夜更けてハリケーンは強烈となるのだが・・・
(原題名:Key Largo)
監督
ジョン・ヒューストン
脚本:
リチャード・ブルックス
出演:
ハンフリー・ボガード
(フランク・マクラウド)
ローレン・バコール
(ノーラ・テンプル)
エドワードGロビンソン
(ジョニー・ロッコ)
ライオネル・バリモア
(ジェームス・テンプル)
クレア・トレヴァー
(ゲイ)
REVIEW(**)
昔の映画+監督の手腕不足・・つーのもあって、アイロンかけ
しながらでも見れる映画になってしまいました。
ストーリー展開が遅い(涙)。この頃はコレで調度よかったのだろうけど
今座って見てられないかもしれないですね〜。バコールは本当にキレイ
なんだけどお人形さん。友好のために復員の時につれてきたインディアンも
マフィアの一団一ついただけで、みんなあんなことになってしまう。
そんな中、唯一、現代にも通用するのがボギーの生き方かもしれないです。
ホテル内で横暴極まりない、ジョニー・ロコに何の手も下さないフランクに
ノーラが『どうして』と非難の声を浴びせると、
『あいつを殺したところで何の意味もない』と答える。そして嵐が激しくなり
地下室に逃げ込み、マフィアのボスの愛人のゲイが、『一曲歌ったら何か
呑ませてくれ』とせがむのをジョニーは相手にもしない。
『お前は、いつも飲んでばかりのアル中だから癖になる』と
飲ませておけばおとなしいだろういう女にした自分のことは
すっかり棚に上げている男なのだ。
けれど、そんなゲイにボギーはそっと水割りをもっていってやる。
そして、ラストでボート『キーラーゴ』に乗り、大金を持ち
フランクを強引につれだし逃げ出そうとするジョニーに、拳銃を託すのは
ゲイである。そんな彼女とホテルで待つノーラのためにボギー演じる
フランクは船の上で引き金を引いて、戻っていく・・・。
『ボギーの男性学』を学ぶには、チョッと長いかもしれない(汗)
カミさんのバコールとの競演にしても。


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送