モンテクリスト伯(2002)
時は1814年、ナポレオン・ボナパルトはエルバ島に流された時・・・
港町マルセイユにいる貧しいが純粋な航海士ダンテスには
美しいフィアンセ、メルセデスがいた。彼の親友であり伯爵家の息子
フェルナンはダンテスの持つものすべてを羨ましがった、人をひきつけて
やまない人徳も、メルセデスの存在も...。航海途中に二人は
エルバ島に漂着、ダンテスはナポレオンから謀反の手紙とも知らず、
書状を渡す役目を引き受けてしまった。帰港後、船長に昇格し
はれて結婚式を挙げることになったダンテス、だが何者かの密告により
謀反の疑いで独房にいれられてしまう。ダンテスが字が読めない
事を知っていたのかフェルナンだった・・・そして彼からメルセデスを奪おうと
したのだった。断崖絶壁のイフ島に送られ悪夢の年月を送る
ダンテスの元に一筋の光が落ちたのは数年後、脱出用の穴を間違えて
彼のいる独房の方へ掘ってしまった司祭だった。彼はダンテスに
英知と護身術、もてるものすべてを教えると息を引き取る。そして、
ダンテスは脱獄後財をなしモンテクリスト伯と名をかえ、自分を陥れた
人々に復讐を誓う・・・
(原題名:The Count Of Monte Crist)
 
監督:
ケヴィン・レイノルズ
脚本:
ジェイ・ウォルパート
出演:
ジム・カウィーゼル
(エドモンド・ダンテス)
ガイ・ピアーズ
(フェルナン・モンデーゴ)
ダグマーラ・ドミンクス
(メルセデス)
リチャード・ハリス
(ファリア司祭)
ルイス・ガスマン
(ヤコボ)
 
REVIEW (****)
実はコレを見る前、『天使のオメメ』と名高いジムカウィにこんなヘビーな
役が務まるのかと不安だった。しかも共演者は『オトコの執念』を
演じさせたら右にでるものがいないG.ピアース。食われちまうぞ、と。
ところがどっこい。そうでもなかった。あの『天使のオメメ』と
『何かに執着した怖い目』をきちんと使い分けている。怒ったときの
目がどことなしに、執着心ムキダシで怒ってるときのク○ーズに似てる
といったら怒られそうなんだけど。なんつーか『自分の野望実現の為に
手段選んでられるか〜』というのがありありと目に出た役柄をして
ました。 それでもだなぁ、ジムカウィの目はいいんだわ。ドロン以来だねぇ。
こういう感想を役者さんで書くのは。そんでもってG.ピアースは、
こういう『一度自分のやってるコトが歯車からはずれてボロがでたら、
口も悪くなりーの、態度もめちゃくちゃになりーの、弱くなりーの』の役が
板について きて・・・エ?アンタこういう『男性の一面』をだまって受け入れ
ないからいつまでも独身オババなんだよって?そうだわぁ。(--;)ううう、
きらいい〜目もきらいぃぃ〜(爆)なのにホボ全作品見てるんだよ〜
コレってなにぃ〜?専門用語で言うところの『潜在的敵意』を
演じるのが上手いってのね。ジブンのナカの嫌な部分をあえて
スクリーンにだしてしまうという。自らの赦せない部分と常に戦う演技でした。
(今回は八つ当たりか)『すっきり』が『ムカつき』をけったおしてくれる
個人的にサイコーの映画で・・・エ?もう少し私情いれない感想を書けって?
過去の映画化された『モンテ〜』と比較したらどうなのよって?
さすがに英語からはじまるナレーションに『おいおいおい』なトコもあると
思うっす。原作ファンは 怒らんだろうか・・・と。ジムカウィのキャラが弱く
なりそうなのを支えてるのが脇役陣、R・ハリスの司祭
(ホントは誰だったかにビックリ)や『ボーンコレクター』ではガンバる鑑識を
演じたL・ガスマンが胡散臭いお付きを演じることで、『モンテクリスト伯』の
胡散臭さを、表していたのがよかったです。まぁ、映画館小さかったから、
早めにいったのにすんごい前の方でギリギリ座れたぐらい・・・。
こういう映画こそ大きいスクリーンでみたかったよう


名誉と栄光のためでなく(1966)
時は'54年のインドシナ戦線、八年に及ぶベトコンとフランス軍の戦闘は
フランス軍の劣勢のまま終わろうとしていた。
そんな中、ラスペギー中佐の率いる空挺部隊もまた劣勢に追い込まれ
 休戦の間まで捕まる。
ほどなくして休戦になると、部隊の殆どのものがパリに帰る中、アルジェで
アラブ人の志願兵マヒディが船を下りた『友情ほど強い力はない』と残し・・・
が、陸にあがると軍隊は解散、それぞれの者は職につく中、職業軍人の
ラスペギーだけがどうしようもなくなっている。
部下で新聞記者のエスクラヴィエは、見かねて、防衛庁にコネのある
クレアフォン伯爵夫人の元にいくようすすめる。
一悶着あった結果、ラスペギーはかつての仲間もつれてアルジェリアへ
向かうことになった。フランスからの独立を叫ぶアルジェリアは
死にいく覚悟も同然。かつての戦友以外は、役に立たない志願兵ばかり
そして、彼らはかつて戦友マヒディの家が焼け出されたこと、そして
テロの首謀者の正体が彼だと知りショックを受ける。
一方エスクラヴィエは、暴動に揺れるカスバで、アイージャという
美女にであった。お互いひかれるが、『であわなければよかった』
という彼女・・・彼女は何者なのか、そしてマヒディの本当の目的は・・・
エスクラヴィエの脳裏にはさまざまな思いが渦巻いていた。
(原題名:Lost Command)
監督:
マーク・ロブソン
原作:
ジャン・ラルテギー
脚本:
ネルソン・ギディング
出演:
アンソニー・クイン
(ラスペギー)
アラン・ドロン
(エスクラヴィエ)
ジョージ・シーガル
(マヒディ)
モーリス・ロネ
(ボワフラ)
クラウディア・カルディナーレ
(アイーシャ)
ミシェル・モルガン
(クレアフォン夫人)
REVIEW(**)
ドロン自身がインドシナ前線に行ってからパリに帰ってきてるので
半分ぐらいは自叙伝みたいなフシはあるんじゃなかろうか、という。
本人も上官に反抗するタイプだったので、この『上官に恩を売りつつ、
後になってきっぱりエンギリする』役は自分自身を重ねてるな〜という
アレも感じました。A.クイン、このころはまだまだご健在で。
M.ロネもお亡くなりになってしまったし。結構豪華キャストなのに
目立たないのは、作品そのもの・・・でしょうねぇ、はぁ。
前半ダレまくってて、何度ヴィデオ早送りして、ドロンの出てくるところ
だけみてたコトか。それでもストーリーちゃんとつながってるんだから、
カットする必要あったんじゃなかろうかと(汗)監督としては、前半の
インドシナ戦で、いかに『仲間の結束は固かったか、なのに(後半の)
あんなコトになったか』を描きたかったのでしょうねぇ。でも長い(涙)
それなりに楽しそうな若いダサイモカットのドロンさまもまたいいけどん
なんとなく『シン・レッド・ライン』のジムカウィにも似て
だはは(爆)そうだ、この時のドロン様ダレに似てるのかなと思ったら
ジムカウィだった。のでジムカウィのファンの方みるように(おい!)
後半で、命令と名誉と勲章のためなら、約束も友情も平然と破る軍隊に
あきれたドロン様、ラストで彼だけが軍服じゃないてのがまた彼なりの
『信念』であり、邦題『名誉と栄光のためでなく』選んだ道なのでしょうね
ポケットにホチキスのタマいれて『これがオレの勲章さ』と言って
胸はってるアタリに『アメリカが作ってる映画ながら、アメリカ人じゃ
出来ないコトをフランス人のオレがやってやる』という雰囲気も
感じるアタシでした。星がカライのは『ドロンファンでない人向け』かも


燃えつきた納屋(1973)
フランスの田舎町オートドーフ、11月にもなれば雪で町全体が覆いつくされて
しまうこの町に『燃えつきた納屋』という名の農家があった。
家主のローズは、このあたり一体の土地を持っているにも
かかわらず、子供達に譲ろうともしない。
そんなある日、農家の近くで女性の死体が、発見された。
家族全員が容疑者となることに気づいたローズは、派遣されてきた
敏腕判事ラルシェと対決する・・・
(原題名:Les Granges bluees )
監督:脚本
ジャン・シャポー
共同脚本:
セバスチャン・ロレ
出演:
アラン・ドロン
(ピエール・ラルシェ)
シモーヌ・シニョレ
(ローズ)
ポール・クロシェ
(ピエール)
ベナール・レコ
(ポール)
ピエール・ポセル
(ルイ)
ミウミウ
(モニーク)
レナード・サルバトーリ
(ホテル・コンシェルジュ)
REVIEW(***)
ラルシェとローズ、どちらが『ゲーム』に勝ったのだろうか?
どちらも『失った』ものはあった、そして『得るもの』があった
ローズが失ったものは『こうありたいという理想』、ラルシェは
『正義を通したが故に失った地位』、が、お互いは『何か』を
待っていたのかもしれない。
ローズは、もう成人になっても、今ひとつスネかじり状態になっている
子供が心配な上、いつも嫁が都会に働きに出ることに不満を
感じている。ラルシェは『正義がまかり通らない現状への不満』
事件をきっかけに、ローズは、家族の本当の姿を知り、また、
ラルシェは、警察に対する見切りをつけることが出来た。
七転八倒する話の展開の末、ラストでお互いの行き方を認め合う
シーンがよかった。ドロンは年上の女優と競演する時は、二つの
タイプに分かれると思う。一つは『ナンなのよ、このガキは』と
みられてしまうか、『まぁ、ガンバりなさいよ、坊ちゃん』と
励ましてもらえるタイプとだ。
前者の代表がJモローだったら後者の代表はシニョレやA.ジラルド
なのかもしれない。
しっかし・・・シニョレ(汗)いくら晩年の作品だとしても、
キャ○ー・ベイツが出てきたんかと思ったぞ。
あんなに美しかったのに肥えまくってる・・・それを言ったら
ドロンも同じか。


メッセージ・イン・ア・ボトル(1999)
ボストンタイムズでコラムニストとして働くシングルマザーの
テリーサは休暇をとりケープゴットまで出かける。
早朝の浜辺のジョギングで波うち際に手紙の入ったボトルを
見つけた彼女は、それを開くと、哀しいまでに切ないメッセージが
書かれているのに、心を打たれ、送り主を探そうとした。
驚いたことにノースカロライナのアウターバンクスという小さな
港町から流されたものだと、判り、手紙の送り主のギャレットに
会いに行くテリーサ・・・しかし手紙のことはいいだせずじまいのまま
彼女は恋におちてしまう・・・
(原題名:Message In A Bottle)
監督:
ルイス・マンドキ
脚本:
ジェラルド・ディ・ペゴ
原作:
ニコラス・スパークス
出演:
ケヴィン・コスナー
(ギャレット・ブレイク)
ロビン・ライト
ペン
(テリーサ・オズボーン)
ポール・ニューマン
(ドッジ・ブレイク)
ジョン・サベージ
(ジョニー)
イリーナ・ダグラス
(リナ・ポール)
スーザン・ブライトヒル
(キャサリン)
REVIEW(*****)
もしも最愛の人が死ぬ間際に一番思ってくれたのが自分だったら・・・
自分を置いていった恋人を人でなしに思うか、誇りに思うかと
いわれたら『誇りに思う』方なんだな。
テリーサとギャレットはそういう間柄なんだと思うのだ。
デンデン違う人のことを考えてたなんたらシャレにもならんでしょ?
恋で関係がダメになるほど、ケンカすることも判った男女が
思ったことが、そうだったという。
映画でケンカしたカップルが最後にハッピーエンドというのが
『バッカばかし〜シゴトで独立したオンナやプライド持ってる
オトコがそんなに簡単に謝罪するのかよ』というさめた恋愛感を
持っている管理人。それだけに、最後にこういう形でお互いを
『赦し合う』しか方法がないぐらい、お互いを愛せたコトに
感謝もできなかった・・・というのが、哀しくもあり、高得点の
ポイントです。
脇役も勿論いがったし、P.ニューマンの飄々としてるのに
人間味のあるキャラもホントにいがった。キャサリンの絵を
 破こうとするシーンでボロボロ泣いてしまうホド。
『タイ○ニック』では眠りかかったものの、コレはボロ泣き
してしまって二回もみてしまうハメになった映画ざんす。
原作では、『メッセージ・イン・ア・ボトル』はまた
テリーサの手によって続いていくのですね。
実はチラシやDVDジャケットも気に入ってる作品です


ムーン44(1990)
2038年, 地球の天然資源は枯渇し今や多国籍企業が地球外の
鉱山惑星にその資源を頼り、宇宙海賊と他企業の侵略に怯える
毎日となった。
その一つカーネル社は次々と自社の鉱山惑星拠点を奪われその上
物質運搬船の消滅事故に巻き込まれ、彼らの所有する鉱山惑星は
『ムーン44』一つとなっていた。
カーネル社は、別件で左遷されていた内務局の調査員ストーンを
鉱山運搬船の中に潜入捜査官としてもぐりこませる。
そこは、賃金削減の為、囚人と少年たちばかりが集められた
惑星だった・・・
(原題名:Moon 44)
監督:
ローランド・エメリッヒ
脚本:
オリヴィエ・エヴァール
出演:
マイケル・パレ
(フェリックス・ストーン)
リサ・アイクホーン
(テリー・モーガン)
ディーン・デブリン
(タイラー)
ブライアン・トンプソン
(ジェイク・ オニール)
マルコム・マクダウェル
(リー少佐)
ステファン・ジェフリー
(クッキー)
レオン・リッピー
(サイク)
メメト・イルマズ
(マーク)
REVIEW(****)
劇場版で戸田さんが字幕つけてるマトモなヴァージョンをやっと見る
コトが出来た(汗)以前から『完全版』をみたかったこの映画。
何せオープニング、エンディング、長さも登場人物も違うという
3パターンある,ええ加減なモノで、戸田さんの字幕のついた劇場版が
完全版だというので、ようやくたどり着いたという。
さすがのM.パレファンの管理人も疲れた(汗)
んでもって『Gozzila』や『パトリオット』で有名なR.エメリッヒ+
D.デブリンの初コンビプロデュースがこの映画です。後者は
今回プロデュースにはノンクレジットなものの、パレのナビゲーター
というオイシイ役をGETしているという。
このコンビの中ではヘタに100円レンタでワケのわからないSFに手を
だすなら、コレでも借りたらいかがでしょうか。
『アメヒスX』でもショックでなかった方にはオススメできますが
ダメな方にはオススメできないかも。
D.デブリン以外のナビゲーター役が今やホトンドゲ○ビデオにしか
出てないというアレで(汗)
でも、ストーリー的にはダレないし、SFだと思うとイロイロ
ドラマがあるし、最後のヘンは『ええ、そんなのアリかよ!』
と思う『捨て身』もあるし。
当事は『CGの使いすぎ』でアメリカ未公開になったこの映画
今やどうよ、某マ○リックス(爆)アレに比べたらドラマ性も
あると思うんすが(汗)ただ、折角M.マクドウェル出てるのに
デンデン生かされてない(号泣)まぁ、『時計仕掛けの〜』並みに
あのトシで暴れるとコワいけどん。
役にたたない軍曹役のオッサンもどっかで見たなと思ったら
『ライフ・オブ・デヴィット・ゲイル』のロン毛弁護士でした。


ムッシュカステラの恋(2000)
ムッシュ・カステラは,うだつのあがらない中堅企業の社長。
仕事にそれほど情熱を持っているわけではない。
会社のエリート社員の態度は気に入らないし、
大事な契約を前に24時間自分を警護しているボディーガードも目障り
ボディガードも『カステラさんはいい人だけどバカだから』
と嘆いている。そのボディガードも自由奔放で違法タバコの売人
をバーでしている恋人に困ってる。お抱え運転手は異国に住む
彼女とンヶ月の遠距離恋愛中だ。その雇い主カステラさんは
会社で英語の個人授業を押しつけられたって
やる気なんてゼロ。そんなある晩、彼は妻と一緒に観に行った舞台で
主役を演じる女優に一目ぼれ
なんと、その女優は昼間追い返した英語の教師だった
その日から、カステラは彼女に気に入られようと、英語に
芸術鑑賞にと、健気な努力を開始するのだが...
(原題名:Le Gout Des Autres
(アメリカタイトル The Taste of Others)
監督・脚本:(マニー)
アニエス・ジャウイ
共同脚本:ムッシュカステラ:
ジャン・ピエール・バクリ
出演:
アンヌ・アルバロ
(クララ)
 
REVIEW(***)
一回見ただけでは『消去〜』になりかねないので、何でこの映画結構点がついたのか
『人間、先入観ではわからない』というコミック映画だったのです。
劇場に見に行って、もう一回BSでみてようやく気がついたという(爆)ので
100円レンタでコーヒー飲んでボーっとしながら、ナンも考えんと
このレビュー念頭において(こら〜)二回ぐらい見ることをオススメします。
カステラオヤジがなんともいえなく『けなげ』なんだよねぇ。
英語教師のクララさんに気に入られようと、自慢の髭剃っちゃったり
剃ったことを誰にも気づいてもらえず嘆いたり、ひけらかす知識もない分
真剣にオペラにのめったり、カステラオヤジの部下のエリート社員は実は
『人にエラそうにしかいえない』のが最大の悩みだったりしたし、
クララもカステラオヤジに励まされても、自分に限界を感じて
やめてしまおうと思っている。
最初は無粋で、オバカなカステラオヤジがイヤだった、クララさんなの
だけど、ホントに舞台が好きになってきたオヤジが自分のスノッブな
舞台仲間に利用されてるのをみて腹たっちゃうのよねぇ。
そんな一心不乱な彼をみて『ジブンの恋ってなんだっけ?』と見直す
ボディガードふたり。最後にそのカステラさんが、クララの舞台を
ド真ん中で嬉しそうに見に来るあたりが、泣けちゃいました。
ボディガードの恋人役のA.ジャウィが監督し、彼女とカステラオヤジ役の
ジャン・ピエール・パクリとの共同脚本です。
どっちかというと映画つーより小さな舞台でもいいっすね、これ


モーターサイクルダイアリーズ(2004)
時は1952年、ブエノスアイレスに住む喘息持ちの医学生エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナは
親友のアルベルトと共にオンボロのバイク、ノートン500で、ラテンアメリカ横断の旅を
卒業間際にして計画していた。
−アンデス山脈を抜け、チリの海岸線に沿って進み、アタカマ砂漠を通ってペルーのアマゾン上流へ
そしてアルベルトの30歳の誕生日をベネゼエラで向かえようというものだった。
生きて帰れるあてもない旅に、上流階級の娘でエルネストの恋人のチチナは
涙で見送るばかり。旅の途中で帰らぬ人である事を覚悟しなくてはいけなくなった彼女だった
アンデス山脈までの道のりは、バイクに振り落とされながらも、互いの夢を
語り合いながら、旅を続ける二人。国境を超えてチリに入ると、今度は見ず知らずの
人々を口説いて日々の必要、とりわけ寝場所を手に入れるため、様々な方法を試みるようになる。
バイクの修理のために、エルネストは大事な喘息の薬でさえも分けてしまうこともあった
二人はそのため、徒歩で灼熱のアタカマ砂漠を抜けることになる。
疲れきった体と空腹を抱えたふたりは、移民労働者や地元の人々と出会うが、
それは今までの出会いとは異なる性質を帯びてゆく。ふたりが出会った貧しい夫婦は、
政治的信念のために土地を奪われ、仕事を求めて近くの鉱山へと向かう途中だった。
エルネストの『心』の中で次第に何かが変わりつつある、23から24歳までの旅路・・・
世界で最も愛されたはずの革命家の若き日の原点を探る・・・
(原題名:Mortor Cycle Diaries)
監督:
ウォルター・サレス
脚本:
ホセ・リベラ
出演:
ガエル・ガルシア・ベルナル
(エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ)
ロドリゴ・デ・ラ・セルナ
(アルベルト・グラナード)
ミア・マエストロ
(チチナ・フェレイラ)
REVIEW(*****)
『若いうちに旅をしてほしい、それが人生を大きく変えるものだとしても』
という製作者としてのR.レッドフォードの思いが伝わった一作でもありました。
この旅だけで、ゲバラが後のキューバ革命のアイコンとなったと決め付けるには
早急なものがあるかもしれない。
彼自身、この後、アルゼンチンに戻り、軍医として徴兵されるのを拒否し、
社会主義者の奥さんと第二のラテンアメリカ旅行で出逢い、二人が思想の自由を
求め、メキシコに亡命したことが大きなきっかけとなっただろう。
が、映画そのものの中で、後のゲバラの姿を感じられるシーンは幾つか出てくる。
 ハンセン病の療養所を後にする前夜、ゲバラは、泳いで、アマゾン川の向こうにある
患者たちの施設まで行こうとする。
その姿は、後に『現場主義』となった革命家ゲバラを見るようであり、また、
『逃げ場のない人生』を送ることになる彼の運命をかいま見る瞬間でもある。
原作にはないエピソードの一つが、チチナがゲバラに『水着を買ってきて』と
渡す15ドルだ。これをアルベルトは途中、何かに連れ、『逃げ道』として
使おうと提案するがゲバラは、途中でであった『誰か』にあげてしまう。
それは、自分の人生に『逃げ道』があるのを恥じていたから以上に、自分自身に
他人が考えてる以上に批判の刃を向けていたからではないだろうか。
自分が喘息で苦しむのに、同じ病気で手遅れな老婆に薬を全ておいていってしまう
あたりは、涙が滲んだ。
私個人もゲバラどころですまないかもしれない病気持ちだから、やはり、ゲバラと
同じ事にこの時代直面していたら、どうしていたか、わからないかもしれない。
そんな、ゲバラを、時には、どうしようもなく、おっちょこちょいに、時には
親のように、そっとしてやる、アルベルトのような親友は、たのもしい。
病気持ちでも向こう見ずの親友と判りながら、あえて、大陸横断の旅に同行する
そのアルベルトの懐の深さは、現代に人間にあるだろうか。
ラストに、老いたアルベルト当本人が、あの日、二人が分かれたベネゼエラで
一人、飛行機を見送るシーンは、余りにも哀しい。



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