マイ・ボディガード(2004)
米軍の対テロ部隊で16年間、暗殺を請け負っていたクリーシーの
心はすざんでいた。追い払えない恐怖は酒でごまかすしかない日々・・・
そんな彼をみかねて、部隊の先輩でメキシコで護衛をしている
レイバーンは、メキシコシティの実業家の娘の護衛の仕事を紹介する。
営利誘拐が多発する、メキシコではボディイガードをつけることを
条件にしなくては、保険の更新が出来ない所まで来ていた。
クリーシーは未経験のため安く付くので白羽の矢がたったらしい。
そんなクリーシーを気に入ったのが娘のピタだった。
  『彼はクマに似ている・・・大きく悲しげで・・・』
新しい仕事に何の情熱も感じてなかったクリーシーが変わったのは
ある雨の晩だった、いつもの如く過酷な任務の幻影に苦しめられ
ついには銃の引き金をひこうとした『神は俺たちを赦してくださるだろうか・・・』
が銃は不発・・・真夜中の雨にうたれ生きていくことを決意したクリーシーを
静かに窓ごしに見守るピタの姿に気付いたときから、クリーシーは
少しずつ心を開き始める・・・ (原題名:Man On Fire)
監督:
トニー・スコット
原作:
A.J.クイネル
脚本:
ブライアン・ヘルゲランド
出演:
デンゼル・ワシントン
(ジョン・クリーシー)
ダコタ・ファニング
(ピタ・ラモス)
クリストファー・ウォーケン
(ポール・レイバーン)
ジャンカルロ・ジャンニーニ
(ミゲル・マンザーノ)
ラダ・ミッチェル
(リサ・ラモス)
マーク・アンソニー
(サミュエル・ラモス)
レイチェル・ティコティン
(マリアナ・ゲレロ)
ミッキー・ローク
(ジョーダン・カルフス)
REVIEW(****)
A.Jクイネルの原作小説『燃える男』シリーズからして、クリーシーは
JMVかも、と思ったらデンゼルのようないい役者さんがきてしまいました(爆)
いや、後半の『復讐』部分は、現在のJMVでは到底『ムリ』なので、デンゼルで
正解なのですが。原作では、出だしは、クリーシーは、一時期はスゴ腕だったものの
現役を引退した今は、かつての幻影にさいなまれ、体もたるみ、酒びたりという
JMV復活に(おい)うってつけの設定だったのです。
でもって、ピタの護衛に失敗し重傷を負った所から、このシリーズ本格化して
クリーシーは密かに怪我を治し、逞しさと鋭敏さを取り戻し、組織に挑んでいく
・・・という。え?そんなコトどうでもいいよって?
まぁ、あの映画の後半の『復讐』部分を『なくてもいいんじゃないの』と
お思いの方への原作ファンとしてもせめてもの言い訳です(涙)。
原作では、クリーシーはよっほど家族に縁がないのか、養子にそだてた子供も、
奥さんも殺されて、その度に復讐に出るという。
それだけに、『家族への憧れ』を抱き、初めて家族の暖かさを与えられたと
書かれた一作目『燃える男』の映画化で、崩壊寸前の家庭のボディガードは
どのように映ったのでしょうか。
ピタの誘拐された訳が、頻繁にメキシコで起こってること・・・という現実に
親も子もない・・・という思いがしたのも本音ですし、チョっとこれ、
フィットネスクラブに来てるエアロ命のヤンママとオバチャンに見せたい
一作です。エアロと子供とどっちが大事なんじゃい(怒)。
『トレーニングデイ』や『タイムアウト』は茶番でしかなかった
と思えるデンゼルの一作に仕上がりました。
それに負けないダコタちゃんに感服です。
ウォーケンオヤジはひたすらイイトコもっていくし、『悪役では
出たくない』といった意地をみせてくれたと思います。
久々のナットクのいくウォーケンさまです。
その影で、M・ローク・・・アンタ一体(滝汗)・・・グラサンがなければ
大マジでダレか分からなかった上、あの死に方って(汗)・・・
う〜ん、今の日本『自分だけはダイジョウブ』と思いすぎ、とも思った映画です。


マキシマムリスク(1997)
南フランスの港町の刑事アランは、ある日、自分そっくりの
ミカエルという名の男が町で殺害された事を知る。
 そこで彼は母親から、幼いころ養子にだされた実の弟の
存在を始めて知らされるのだった。
県警一の名スナイパーとして名を挙げた刑事の兄、
マフィアの世界に足を入れ、ロシアンマフィアから抜けようと
もがき、NYからフランスに渡仏し殺された弟。
アランは弟の代わりにNYに渡り、何故、弟は殺されなければ
ならなかったのかを探るため、手始めに弟の恋人アレックスの
行方を捜すのだが・・・ (原題名:Maximam Risk)
監督:
リンゴ・ラム
脚本:
ラリー・ファガーソン
出演:
ジャン・クロード・
バン・ダム
(アラン・モロー
ミカエル・スヴェイロ)
ナターシャ・ヘンドリッジ
(アレックス・ミネティ)
ジャン・ユーク・アングラード
(セバスチャン)
ザック・グルーニャ
(イヴァン・ ドザドゴフ)
ポール・ベン・ビクター
(ペールマン)
REVIEW(***)
最近のアクション映画って主人公+脇役がアホみたいに
強くて、ホトンドツっこめないか、コメディアン的要素を
詰め込んでるか、CG使いまくってるサイボーグ状態かで、
『適度にドラマ、俳優もガンバって、命マジでヤバければ
スタントに』という映画は劇場公開の日の目なんて
みないどころか、Vシネマにも引っかからない。これも
そんな『少ない作品』の一つ。
それで『あぶれていく』俳優の多いこと、多いこと。
で結局『演技』を磨けなくて、いい俳優と切磋琢磨
したくても出来なくて、おちぶれるんだろうな〜と

そんなイミにおいてこの作品のバン・ダム,ガンバってます
彼の好きな『一人二役』なんですが、今回冒頭で
一人殺したので(汗)何の予備知識もナシに見た人は
『主人公死ぬんかい!』と思うだろうしな〜。
向こうの俳優との競演なり、コレがハリウッド初進出
になったリンゴ・ラムもさえてたし。
オカンがヒトコト、ヴァン・ダムの顔が『舘ひ○しに似てきた』
のが気になったけど・・・(汗)頬がコケてたからかもしれん・・・
ヴァン・ダム自身もかなり体張ってアクションして
おりまする。街中の銃撃戦が多いのでごまかし効きそうにも
なかったろうな〜と。
日本のチラシのキャッチコピーもいがったざんす。
『ヴァン・ダム,パリに死す』
でもこれ以来あまりヒットのないのも気になるトコロです・・・


マスク・オブ・ゾロ(1998)
時は1821年,メキシコ領カリフォルニア、黒装束の義賊ゾロは
時の将軍ラファエルの敷いた圧政から民衆を救うべく
立ち向かっていた。
 アレサンドロとホアキンの兄弟も、そんなゾロに憧れ、
民衆にまぎれていたところ、偶然にもゾロに出会い、彼が
首にかけていたネックレスを貰う。
ゾロの正体はドン・ディエゴ、公爵家の一員で、
美しい妻エスペランザとの間にエレナという娘もいる。
が、ある晩、ラファエルはディエゴがゾロであるとつきとめ
エスペランザを殺害し、エレナを奪い、ディエゴを牢獄につなぐ。
それから20年、ゾロの名は世間から消えた・・・。
20年後、アレサンドロは兄ホアキンを騎兵隊のハリソンに
殺され、後に残されたのはあの日ゾロに貰ったネックレスだけになる。
そのネックレスでさえも酒の足しに売ろうとしていたときに
ディエゴとアレサンドロは再会した。
ディエゴは、思わぬ出会いをきっかけに、今は馬のともつかない
状態のアレサンドロにゾロとしての全てを教えようとするが・・・
(原題名:The Mask Of ZORO)
監督:
マーティン・キャンベル
原作:
ジョンストン・マクリー
脚本:
テッド・エリオット
共同脚本:
ジョン・エスコー
出演:
アントニオ・バンデラス
(アレサンドロ
ムリエタ)
アンソニー・ホプキンス
(ドン・ディエゴ
デ・ラ・ヴェガ)
キャサリン・ゼタ
ジョーンズ
(エレナ)
ステュワート・ウィルソン
(ラファエル・モンティエロ)
マット・レッシャー
(ハリソン・ラヴ)
ヴィクター・リバー
(ホアキン・ムリエタ)
ホセ・マリア
デ・タヴィラ
(少年時代の
アレサンドロ)
ディエゴ・セーラ
(少年時代の
ホアキン)
トニー・アレンドーラ
(ドン・ルイズ)
REVIEW(****)
『ゴールデンアイ』を手がけたM.キャンベルがゾロを
手がける、というだけでもワクワクする・・・・のに点が
減ってるのは何でだ!つーと、どうやらこれ『続編』が
あるらしい(さすが、プロデューサがスピちゃんだ)
てので、どんなんだろう・・・と最高点はドロン様の『ゾロ』
にとってあるという(爆)。
冒頭に出てくるゾロはD.フェアバンクスやA.ドロンの
『カリスマゾロ』にバンデラスのゾロはT・パワーの
『情熱系で長身』のゾロ+ドロンの黒装束モノの
傑作『黒いチューリップ』にオマージュを捧げた感じに
なりました。バンデラスが、最初の『スペイン人ゾロ』
てのも、ディエゴの設定がスペイン人なのに、今まで
アメリカ、フランス、イギリスとみんな違ったんですものねぇ。
ゼタ姐さんも、ホントにキレイでカッコよくて、コトに
バンデラスとのダンスシーンは情熱的でございました。
フェンシングシーンもゾロのもう一つの見せ場でありましたが
ドロン様がアクション系ならこっちは情熱系。
前者はスタントマンなし、800本以上も剣折ってタイヘンだった
のに対し、こっちはもうJ.ボンドも引いてしまう、オスっぷり
このころのバンデラスだから許せてしまうぞ、という。
これも続編できるのか・・でもってキャンベル・・・ブロスナン
最後の007の監督でもあるそうです。期待してるぞ。


ミリオン・ダラー・ベイビー(2004)
フランキーはLAの郊外でさびれたボクシングジムを経営する身、
選手は、そこそこ実力が出てきた頃に、みんな他のジムへ移籍
してしまう。
『いつの時も自分を守れ』フランキーの慎重すぎるともいえる
その行動は、選手たちの対戦相手にも慎重だった。
それが、所属プロとして活躍する面々には余計なお世話にうつるのだろう。
が、20年以上の長い付き合いをしている、元ボクサーで今はジムの
雑用係のスクラップには、自分を守る意味が判っていた。
 フランキーは、元々『カットマン』と呼ばれる選手の怪我の
応急治療をする名人だった。スクラップの最後の試合にも彼がいた。
もしも、自分が、マネージャーにかまわず、スクラップを止めていれば
彼の片目が失明することはなかったのに・・・フランキーの『自分を守れ』
は、ここから来ていたのだった。マネージャーに逃げられた二人が始めた
ジムはフランキーの『負い目』でもある。
それだけでない、フランキーには、ずっと疎遠にしている娘がいた。
ずっと手紙を書いているのに、未開封で送り返されてくる手紙・・・。
それは、彼の心に修復できない傷を作っていた。
そんなある日、一人の女性が、フランキーにボクシングを教えてほしいと
やってくる。断っても断っても、彼女はジムに通い続けてきた。
彼女の名はマギー、昼間はウェイトレスをしながら、夜にジムに
かよい続ける。帰る家も、何もない、ボクシングを取り上げられたら
残るものは何もない、時間もない、ジムに来て一年後、はき捨てるように
いったマギーに何かを感じた、フランキーは、彼女にボクシングを教える
決意をするのだが・・・
(原題名:Million Doller Baby)
監督:
クリント・イーストウッド
原作:
F.X.トゥール
脚本:
ポール・ハギス
出演:
クリント・イーストウッド
(フランキー・ダン)
ヒラリー・スワンク
(マギー・フィッツジェラルド)
モーガン・フリーマン
(エディ・スクラップ
アイロン・デュプリス)
ルチアナ・リガー
(ビリー・ブルー・ベアー)
マーゴ・マーティンデール
(アーリーン・フィッツジェラルド)
リキ・リンドホーム
(マーデル・フィッツジェラルド)
ブルース・マクティー
(ミッキー・マック)
マイク・コルター
(ビッグ・ウィリー)
ジェイ・バルーチェル
(デンジャー・バーチ)
ブライアン.F.オバイン
(ホヴァック神父)
REVIEW(****)
家族に愛されなかった娘と、家族に見放された父親が
自分たちを突き放していた社会に、立ち向かっていく姿を
前半は、試合に勝ち進んでいくマギーと、それを支えていく
フランキーやスクラップの目を通して、華やかに描き出し、
後半は、お互いに、『家族に対して本当にほしかったものは
何だったのか』を強く静かに描いていく、どちらかというと
 後半部分のストーリー展開に惹かれました。
マギーのフランキーを見つける直感も判るし、自分にも
似たような経験があるので(こんなにカッコよくはいかなかったものの・・・)
ラスト以上に、感動したシーンは、一旦マギーを他の
マネージャーに預けたものの、それが八百長だと判って、
フランキーがリンクサイドに飛び出してくるシーン。
怒鳴るレフェリーに『オレの選手だ!』
ラスト以上に泣いてしまったシーンでした。自分にはなかったなぁ・・・
そんなマギーだからこそ、ああなってもせめて学問を・・・と
親心をだしてしまうフランキーなのだけれど、
土壇場で甘えない、マギーの清さ、親に集られても
毅然と立ち向かう姿と裏腹に、それがすごく切ない。
ラストで、彼女はリングネーム『モ・クシュラ』の意味を
知ることになるのだけれど、ずっと誰かに愛されて支えれて
続けることがあったのが、マギーの唯一、最大の幸せでないでしょうか
イーストウッドの私生活での『モ・クシュラ』は、あのGSのシーンで
自動車に乗って子犬を抱えていた女の子なのですが


モンパルナスの灯(1958)
時は第一次世界大戦の終わった '10年のモンパルナス。
明日売れることを夢見て、ここは芸術家たちが多くたむろしていた。
イタリア人のモディリアニもその一人だったが、絵は全く売れず、
三ヶ月も滞納した家賃は、画商のソボロウスキーに払ってもらいつつ
肺結核を患いながら酒びたりの日々を送っていた。
もうすこしマジメにとりくめば…という数少ない友人たちの
言うことにも耳を傾けない。遊んでばかりに見えるモディは
一方で、自分の絵を本当に愛してくれる人を探していた。
 ある日、キスリングの展示会で、モディは美しい裕福な画学生
ジャンヌと出会う。最初は彼女をモデルにしていたが、お互い惹かれ
モディは、彼女の家に会いにいくが、彼女は家族に閉じ込められてしまった。
失意の底で、モディは、結核の療養の為、ニースへと旅立つ。
そんなモディをジャンヌが追いかけてきて、二人の生活が始まるのだが
二人がパリに個展を開くため戻ったとき、運命の女神が微笑んでくれた
わけではなかった…
(原題名:Monparnasse 19)
監督:
ジャック・ベッケル
原作:
マックス・オフュルス
『モディリアーニ』
脚本:
ミシェル=ジョージ
ミシェル
出演:
ジェラール・フィリップ
(アメデオ・モディリアーニ)
リリー・パルマー
(ベアトリス・ハースティング)
リー・プドヴァーニー
(ロザリー)
ジェラルド・セティ
(レオナルド・スボロウスキー)
リノ・ヴェンチュラ
(モレル)
アヌーク・エーメ
(ジャンヌ・ヘヴュターナ)
アルレッテ・ポイテーナ
ルル)
REVIEW(*****)
ホセ・フェラーがヘソまがりなロートレックを演じた『赤い風車』
('54), もミゴトだったけれど、それ以上に見事なのがこれ
事実この映画を撮って一年後に、癌で眠るように亡くなってしまった
G.フィリップ。一説によれば、自分が癌だったことすら判らないで、
家族を送り出して、そのまま他界してしまったそうです。
そんな彼の行き方は、モディを演じるのにふさわしかったかもしれません。
映画は淡々と流れながらも目が離せませんでした。
『こういうセリフを今の役者さんが劇的に言えるかな〜』というのも
考えたりする部分も幾つかあったり。そうなのか〜こういう『何か』が
足りないのを、今の役者さんは、しみじみと自分の身で判っているからこそ
映画の経験と舞台を両立させたりするワケだ、と。
映画の中で、モディがクロッキーを売りにいって全く売れないシーンが
出てくる(今では破格ですよ、勿論のコトながら)のですが、
モディのクロッキーなんて、大枚はたいてでも欲しいよ〜と画面みて
泣いておりました。それをジェラールが演じるなんて…見てられないです。
でも、モディは本当に自分の絵に感動してくれたり、自分の絵で勇気
つけられるという人に売りたかったのでしょうね。
昔、今、関係なく、チョっとオカネ出てきた方が『これはオカネになるから』
という投資目的で絵を買うのが、画家にとっての一番の侮辱だと思ってます。
『この絵○○会の、○○先生のなの、ステキでしょう』というのを聞いても
『わかってんのかな(滝汗)〜』で。本当にステキだと思って
フトコロに余裕のない人が、とても惹かれて、必死で工面して買って、
毎日眺めて勇気をもらう…そんな描く方と飾る方の心のつながりをモディは
最期まで求める寂しい心があったからこそ、モディの絵は、いつもうつろで
哀しいのに、見る者が惹かれたのかもしれません。
為に、アメリカ人に売ろうとするシーンでも、モディが『売りたくない』と
怒ったのは、アメリカ人が、『有名どころならなんでもいい』なんて
いったからでしょう。
 ラストシーンで、モディが死ぬのを待つ、モレル役のバンチュラは刑事役
か、レジスタント役にもみえかねないアレでしたが、結局、死後に彼の作品を
買い占めて終わるラストには、残酷さを感じずにはいられません。


モディリアーニ〜真実の愛〜(2005)
時は第一次世界大戦後の、パリ、モンパルナス。
世界中から、明日の芸術家を夢見て名も無き若者がカフェに
集った時代。既に画風を幾度となく変え成功を収めていた
ピカソは、クロッキー一枚で酒を振舞うのに対し、一枚も絵の
売れないボヘミアンのモディリアーニがそこにいた。
この頃、まだ無名だったユトリロ、キスリング、スーチンもまた
貧しくも酒と麻薬をやめられない彼の仲間でもあった。
パリでは年に一度の美術コンテスト、『サロン・ド・アルテスト』
で、ピカソとモディリアーニとの対決を期待していた。それには
モディリアーニが最期に選んだ伴侶、ジャンヌの存在があった…。
数年前、美術学校でデッサンを学ぶ画学生のジャンヌと恋に落ちた彼は
結婚を申し込もうとするが、彼女の父親は裕福で敬虔なカソリックで
あったため,貧しい後ろ盾のない彼は許せなかったのだ。
二人の間に生まれた女の子は修道院に預けられ、打ちのめされたモディは
生来患っていた結核から肺炎になり、画商のズボロウスキーの計らいで
  身重のジャンヌ共々ニースへ休養に出る。
そこで、ズボロウスキーは、パリで個展を開けば知名度もあがるのでは
ないかと提案し、以前、肖像画を描いた詩人、ガードルードの紹介で
個展にこじつけるが、表に展示してあった裸婦の絵を撤去されたばかりか
ピカソがやってきて、『自分の絵を描くキャンパスがなかったので、
ジャンヌが持ってきたモディの絵を潰した』という画家として最大の
侮辱の言葉を個展に残していくのだった。
屈辱に耐え切れず泥酔して、街をさまようモディに、様々な幻影が
語りかける。傲慢に笑うピカソ、棺桶に入って川に流されるユトリロ、
『お前は狂犬か…』と語りかけるルノワール…その全ての答えを出すために
モディは、カフェに現れ、ピカソの目の前で『サロン・ド・アステスト』の
 参加者リストに署名した。
『本当の君が見えたら、その瞳を描こう…』
瞳無きモディの肖像画の瞳は描かれるのだろうか…
(原題名:Modigliani)
監督:脚本:
ミック・デイヴィス
出演:
アンディ・ガルシア
(アメデオ・モディリアーニ)
エルザ・ジルベスタイン
(ジャンヌ・ユピテル)
ルイス・ヒルラー
(レオポルド・ズボロウスキー)
オミッド・ジャリリ
(パブロ・ピカソ)
エヴァ・ヘルツィコヴァ
(オルガ・コクロヴァ)
ウド・キア
(マックス・ジャコブ)
イボリッド・ジェラルド
(モーリス・ユトリロ)
スージ・エイミー
(ベアトリス・ヘイスティング)
スティヴーン・リムカス
(ハイム・スーティン)
ジョージ・イバスク
(モイース・キスリング)
ダン・アスティレヌ
(ディエゴ・リヴェラ)
ミシェル・ニューウェル
(ユードキシュ・ユピテル)
フレデリコ・エンブロシノ
(小さい頃のモディ)
ミリアム・マーゴルス
(ガードルード・スタイン)
テオドア・ダネッティ
(オーギュスト・ルノワール)
REVIEW(*****)
『モンパルナスの灯』がフイルム・ノアールの巨匠によって、淡々とした
人間関係をモディを取り巻く女性を中心に焦点を当てて描いていった
のに対しこちらは、モディと彼を取り巻く当時は無名だった画家たちと
爆発的に一人勝ちのように売れ出したピカソとの反発の中にあった
ジャンヌや、奔走した画商ズボロウスキー達の人間愛を描いたものかもしれない。
ピカソは、同業者から画風を盗んだというのが通説で、彼の画風の中には
この頃活躍した、同業の無名の画家の画風と似たものもある。
まぁ、模倣そのものもなかなか出来ない中、彼が頂けなかった
画風というのがモディだった。モディの中にある、貧しくとも一線を引いた
清さを忘れないところや、彼の中からにじみでる哀しさはマネできるものでは
なかったのだろう。モディの画集も展覧会も、何回も見てて、この中に出てくる
画家、ユトリロ、キスリング、ピカソ、スーティン、マティス、リヴエラ、ルノワール
次々名前が出てくるだけでも、すごいなぁ・・・と。サロン・ド・アルテリスに出品する
為に皆が描くシーンをBGMでアヴェマリアでつないである所は涙無しでは
見ていられなかったです。100号を越すカンバスに描くのにどれだけ
苦心をして向かってるか、それが伝わってくるように演じてくれてる俳優さんたちに
ひたすら感謝したくなるシーンでした。・・・コレは画家を身内に持たないと説明の
しようが・・・(汗)なんていったらいいんでしょう・・・。
個展も、開くのに売れてからテキトーこいてやってる人も中には
いるのですが,モディのように全く売れないのに個展をするってのは
それからの画家生命は閉ざされるも同然で、その初日にピカソがやってきて。
ジャンヌが、ピカソを通じてなら夫の絵を売ってもらえるだろうと思って夜中に
ピカソの所に夫の絵を持って行ったら、ピカソは売ったどころか
『あのキャンパスの上に自分の絵を描いた』なんて。それならそのカンバス破いて
くれたほうがマシだと、このシーンでも怒りで涙が止まらなかったです。
ホンモノはここまでしなかったでしょうけれど。
『モンパルナス〜』ではラストは、画商が彼の死後、絵を買い占めて
行ってしまうのですが、この映画では、史実と同じように、ジャンヌが自殺して
しまうという、『モンパルナス〜』と違うシーンで、ことごとく泣きました。
彼女が、死ぬ前に『今夜は彼の夜だから絵は描かないで』とピカソに言うシーンも
印象的です。それが画家として最大の敬意でしょうからね。
G.フィリップのモディは、画商とベアトリスにお世話になりっぱなし
のモディだったのだけど、ガルシア版のモディは、モンパルナスの無名画家との
交流を大事にする『イイヤツ』なモディでした。いつも彼の傍に友人の画家が
いた姿がよかったと思います。


メトロで恋して(2004)
アントワンは三十路過ぎの大部屋俳優だが、俳優仲間と
よろしくやってるお気楽な日々を送っている。しかし恋愛には
恵まれず、つい最近も長年付き合ってきた彼女に別れ話を切り出された。
そんなある日、彼はメトロで、はす向かいに座ったショートカットの
女性クララに惹かれ、彼女こそ自分の運命の女性と思いデートに誘う。
また彼女も、最初は驚いたものの、アントワンの真摯さに
惹かれ二人は同棲を始めた。
彼女のTVGのバーカウンターのウェイトレスとしての給料だけでは
アパートの家賃は払えない。クララは、アントワンの友人のアランに
相談してテレクラのバイトを紹介してもらうが、昔気質な彼には
それが気に食わない。何とか二人だけでやっていくには危ないと
傍目で見ている、アントワンの姉マリアンヌも心配でならなかった。
クララがクリスマスの前に故郷に帰ると言い出した時、アントワンは
自分と父親の間にあった確執を打ち明ける。
彼の父親は、有名な外科医でアントワン自身は勉強次第では将来を
嘱望されていたが、26の時に俳優になりたくて家を出てしまった。
その時に、自分の夢を何一つ応援してくれなかった父を許せないで
いたこと・・・クリスマスには帰ってないこと・・・
でも、クララが傍らに居る今、何とかクリスマスに家に帰れそうだと。
遠回りではあったが彼からの結婚の申し込みでもあった。
そんな彼のために、クリスマス前に健康診断を受けた彼女を
待っていたのは不治の病の宣告だった・・・
アントワンとクララはどうなってしまうのか・・・
(原題名:Clara Et Moi)
監督:脚本:
アーノルド・ヴィヤード
出演:
ジュリアン・ ボウセラー
(アントワン)
ジュリー・ガイエ
(クララ)
ミシェル・オーモン
(アントワンの父)
サーシャ・ボード
(アラン)
アントワン・デュレピー
(BT(カフェのオーナー))
パスカル・アルビロー
(イザベル)
ソフィー・モニコー
(ジェラルディン)
リトン・ディブマン
(ディディエ)
マリアンヌ・ヴィアード
(マリアンヌ)
フレデリック・ピレロット
(エチエンヌ)
REVIEW(***)
監督の半自叙伝の映画化ということなのだけど、
ここに出てくるクララの『不治の病』はネタばれになってしまうが
AIDSである。そうでなくても、『自分どころか、医者に何回か
通ったぐらいでは治らないもの』を抱えてる女性に自分が
恋していたとなると男性は突然『心の荷造り』をしだすワケなのだ。
ラストシーンで、アントワンが父親なり、元カノなりに
励まされ、クララの所に戻っていってもクララは既に彼をあてに
せずに自分だけの人生を歩もうとしている理由がわかる気がする。
 元カノがアントワンに『貴方がAIDSだとしても、私は貴方が
好きだったと思うわ』というシーンや、父親が『母さんと離れてみて
はじめて母さんの愛が判った』というシーンによく現れてると
思うし、何と言うのだろう・・・人なり友人は沢山集まるのに
恋人のような人間には、その人の持っている本来の傲慢さなり
我侭がスパっと出てしまった上に、病気の事を聞いてホイホイと
逃げる荷造りをしてる殿方・・・本当に多い。
『ウィズアウト・ユー』や『エターナルサンシャイン』のように
恋人のハッピーエンドの『その後の行方』をじっくり占う映画が
増えてきたことは嬉しいことだと思う。後は、それを見る側に
ナットクいくようにすればいいだけで・・・。



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送