セレンディピティ(2002)
TVディレクターとして働くジョナサンは数年前の12月20日に出逢った女性の
ことが婚約した今でも忘れられない。彼女の名前はサラ、英国人
あの日同じ黒のカシミアの手袋を取り合ったのがきっかけだった。
何となしに意気投合して、カフェ『セレンディピティ』へよって話して,手袋を
どうしようかといってるうちに、今日中に口説いておかなきゃと焦るジョナサンに
対し、サラは『運命』を信じた。スケートリンクで滑った後、サラは5ドル札に
ジョナサンに名前と電話番号を書かせてキャンディを買って、自分は
持っていた『コレラの時代の愛』の初版本にフルネームと連絡先をかいて
手渡し、これを古本屋に売ってきてほしいといった。お互いに見つけることが
出来たらまた会う運命なのだと・・そういって彼女は消えていった・・・
エレベーターでの最後の運試しに負けたジョナサンをおいて・・・
それから数年後、ジョナサンは美しいフィアンセ、ハリーとの結婚間近に
控えていた。一方あの頃は心理学を学んでいたサラもミュージシャンの
ラースと婚約している。それなりに優しい婚約者を見つけた二人、だが、
何かものたりない、忘れられないのはあの日の『偶然の幸せ』。
ジョナサンはNYタイムズで働く親友のディーンを、、無理やりひっぱりだして、
結婚まで秒読みなのにもかかわらず、サラを探そうとする
(原題名:Serendipity)
 
監督:
ピータ・チェルソム
脚本:
マーク・クライン
出演:
ジョン・キューザック
(ジョナサン・トレーガー)
ケイト・ベッキンセール
(サラ・トーマス)
ジェレミー・ピヴェン
(ディーン・カンスキー)
モリー・シャノン
(イブ)
ブリジッド・モイナハンハリー
(ハリー)
 
REVIEW (***)
運命を信じたことはありますか?かつて、でもいいから。
たとえ長い間不運だったとしても『運命』はあると思ってるし、そういうものを
時として感じる・・・つーたら『意外』と目をむかれたりしやんす。むむ。
この二人が始めてであってからまた出逢うまで道中にいろんな
『物語の伏線』がでてくるのがいかにものロマコメで、サラが
P・ニューマン主演の『暴力教室』の映画を見て、ジョナサンを
思い出すシーンしかり、『おいおい』なニアミスがあるのもお約束。
こういう映画は『You've got mail』以来じゃないっしょうか。んでもって
ジョンキューの久々の『まんま』ジョンキュー。サラのクレジットナンバーから
住所と電話番号を聞こうとエルメスの売り場に行くとあの、イヤミなのか、
おもろいのかわからない店長に『今月は売上がよくないので・・・』と言われて
ベルベット紫の三つ揃えをそろえられてまでサラのことを聞き出そうとする
ジョンキューのおかしいこと。『マジジャンのようだ・・・』ボーゼンと鏡の前に
たってるジョンキュー(笑)ヒネった役もいいけどこういう『ドコにでもいる、
男友達の多い、優柔不断なのにガンコで気さくな兄ちゃん』を演じると
やっぱりジョンキューです。ハイ
それが『ハリーは『ゴットファーザーパート2』なんだ!』というあたり、
『アメリカのオトコがなんでも『GODFATHER』になっちゃうからやめてくろぉ〜』と
言いたかったのだけど(--;)K.ベッキンセールは『パール〜』より
ダンゼンいがった役でございます。『パール〜』で悪い印象ついちゃった方、
こっちで口直ししてください(おい)。心理学を学んでカウンセリングを
担当しながら、スピテュアルなものにひかれていく相反する女性像を演じた
今回の役はいがたす。役として、いろいろ回り道したけど、やっぱり運命
じゃないか・・・と思ったときにジョンキューが現れた、そういう感じだったの
じゃないでしょうか。そして何年もかけてまた回り道して、戻ってきて。
『友達以上、恋人未満』すべてにおくるラブコメです。


戦場のピアニスト(2002)
第二次世界大戦のナチによる強制移住や大量殺戮の恐怖を
目の当たりにし、生き延びたポーランド系ユダヤ人のピアニスト、
ウワディク・シュピルマン(1911-2000)の回顧録の映画化.
時は'39年ワルシャワのポーランド国営ラジオ局でシュピルマンは
ショパンを弾いてたとき,局がドイツの砲火にあってしまい、程なくして、
家族はゲットーへの強制移住を命じられ、ユダヤ人である証拠の
腕章を身につける命令をくだされる。
だが戦争が激化していくにつれ、ナチのユダヤ人狩りはその猛威を奮い、
理由をつけては殺し、今までドイツ人にコネのあるものや金持ちだけが
住める小ゲットーは封鎖され、そこのカフェテリアでピアニストとして職を
得ていたシュピルマンも、ガス室行きの列車は免れたものの、ゲットーの
壁を崩す強制労働に加わることとなった。だがピアニストに肉体労働は重い、
脱走を決意しゲットーを逃れたものの、匿われた先は次々に見つかる
ばかりか、彼の名を利用して基金を集め、集るものまで出てきた。
愛するものは去り、屋根裏に身を潜める彼はついにドイツ軍将校
ホーゼンフェルトに見つかってしまう
だが彼はシュピルマンがピアニストと知ると、彼にピアノをひくように命じるのだが・・・
(原題名:The Pianist)
 
監督:
ロマン・ポランスキー
脚本:
ロナウド・ハーウッド
原作:ウワディク・シュピルマン
出演:
エイドリアン・ブロディ
(ウワディク・シュピルマン)
トーマス・クレッチン
(ウィルム・ホーゼンフェルト)
フランク・フィンレイ(父)
モーリン・リップマン(母)
エミリア・フォックス
(ドロタ)
エド・ストパード
(ヘンリク)
 
REVIEW (*****)
見に行ったら東映の一番興行映画館でやってて超満員。
シネコンは朝一番から券が買えるというコトを知らないオバチャン、
ネーチャンのあきらめてる列を尻目に、朝一番にいって希望の回,
希望の席は,やっとこさという状態でした。いつもなら開演30分前でも
左うちわ状態でとれるのに 。
公開前にいろんな批評家やタレントのレビューがのってたのだど、コレは
正直いって逆効果だからヤメてほしいわけよ。映画すきとしてぇ(--;)
ホントにいい映画は『アメリカにおける『メメント』』形式で
日本でもヒットしてくれた方が嬉しいわけ。ネコも杓子も見に行くってのは
どうしてもマナー悪いお客や 『別にコレじゃなくてもいいんだけど、話題作だし』
てのも呼んじゃうだろうからなぁ。ホントにこの作品見たい人にはなぁ。
で、映画なんすが、まず色彩感覚や小道具やカメラショットがこれほど
見事なのって近年ホトンドお目にかかってなかった、てことに気が付いた
のは映画終わった後だった。頭痛するぐらい食い入ってみてたコトに
気が付かなくて持ってる服の色合いやジャケットも風合いが似てて、
ぐわわわと目がさえてみてしまうわけよ。人がフツー休んでるトコロなのに(--;)
本編に入ると、これでもかこれでもかというナチの侵攻が中からの目で描かれてるのをみて、
『シンドラーのリスト』のオフアーをけったワケは観客にも伝わったろうし、
お父さんのセリフで『ドイツよりも悪いのはアメリカだ、戦争をふっかけてきて
何もしない』というのは、あの当時も今も通用する、監督個人だけでなく
この映画の本心をささやかについてるような気もしました。『ライフ・イズ〜』でも
最後にアメリカ兵がやってきて 終わるのですから。
そして、『内部からの戦争』をきっちり描いてると感じたのはシュピルマン一家も
またユダヤ人警察におびえ暮らし、彼もゲットーを脱走後、『匿う』という
名義のもと自分の名を使われ利用され、見捨てられるというゲットー
脱出後のユダヤ人のあったであろう実態を細やかに描く映画は
これまでなかったと思う。これだけ裏切られたら、もう人は信用すまいと
思うだろう、だが彼は信用するのだ、自分のショパンを 聞いてくれた
ドイツ将校を。将校は祖国では子供を家族を愛した教師だった
という。うちのめされても,彼は空想の中でピアノを戦争で亡くした
友と家族の為に弾き続けた。それが彼の『生きることの意味』
だったのだろう。 それが見つかったそのときドイツ軍将校は
現れたのかもしれない。
今、恵まれている、いないにかかわらず、『生きることの意味』を
見出せない人が何人いるろう、
仕事をして終わり、 『今日もつまんなくて』そういう人が何人いる
だろう、ならこの映画にかくされているかもしれない。
『美しい夜明け前が一番暗くて寒い』のだと。


スリーキングス(1999)
時は湾岸戦争停戦時のイラク。多国籍軍の勝利が確定し兵士達は
帰途の準備をしていた。
職業軍人で国際紛争を舞台に活躍してきたアーチィは除隊後の生活に
何の期待もしてなければ、今もアメリカに対してもシニカルな目をもっている
だけである。一方、補充兵のトロイは妻子を残してきてるためホームシック
状態。敬虔なクリスチャンのチーフは黙々とただ任務をこなしていくのみ。
そんな部下をひきつれていたとき、降伏したイラク兵から金塊の地図を
手に入れた面々。場所はベースキャンプか往復半日。残りの人生コレで
ハッピーにしようじゃないかと一攫千金にいどんだ彼らをまちうけていたのは
フセインに追放された反ゲリラ組織の一味のいる村だった・・・
(原題名:Three Kings)
監督:脚本:
デヴィット=
O=ラッセル
出演:
ジョージ・クルーニー
(アーチィ・ゲーツ)
マーク・ウォルバーグ
(トロイ・バーロウ)
アイスキューブ
(チーフ・エルジン)
スパイク・ジョーンズ
(コンラッド・ヴィグ)
クリフ・カーティス
(アミル・アドラフ)
REVIEW(**)
ブラックユーモアなんか、軽くつくってあるんか、どうなのか今ひとつ
み終わった後でもわからんのだけど(汗)上映当時、批評が真っ二つに
分かれて、結局見逃した作品で、今、イラク戦争が終わって改めて見て見ると
『おいおい、こんな風に戦争の後日談を書いちゃってもいいのかよ』という
アラさもあり、ラストで自分たちの儲けがパーになるアレはホントは
ありえそうにない『アメリカの美談』も感じられたり、アメリカに対する本音は
マークが捕虜になってるあのシーンでちらほら出てくるだけで。
金塊をブランドもののバックに詰めてつーのは『おいおいアメリカ人はそこまで
しねぇよぉ〜』というくだりもあったり、いいだすとキリがなかったり(汗)
なんだか『戦争モノ』というにはエセっぽい、今ひとつ何がいいたいのか
分からないのに、星が減ってしまいました。う〜ん、キャスティングがいいのに
惜しいわぁ。(涙)もしかしたら、アメリカが戦争をどうとらえてるかの
ブラックユーモアだったかも・・・


スターリングラード(2000)
時は第二次世界大戦の終わり、スターリングラードの陥落はソ連の降伏を意味
するものとなっていた。
 遅かれ早かれこの戦争が終結すると言う事が明らかであったとしても・・・その
証拠に今前線で戦っているロシア兵の大半は若き新兵で戦う術も知らぬまま、
その命を前線に散らし、わずかな物資の下で戦っていた。
 ウラルの羊飼いとして、本来ならその腕は羊の品質を損なわぬようにと仕込ま
れた射撃の術が、今前線で命をつなぐ糧となっている・・・ロシアの若きスナイパー
ヴァシリ・ザイツェフは自分の意思に背くそれに心が痛んだ。
 そんな中、彼のつつましさと射撃の腕に感銘した青年将校ダニロフと知り合い
打ち解け、二人は、同じ女性、レジスタンス兵士のターニャを好きになるが
言い出せない。
 が,ヴァシリが国内の士気を高める為にプロパガンダとして利用され、ターニャ
はダニロフの部隊へ半ば強制的に配属、離れ離れになった其の時、ヴァシリの
評判は不運にも敵国ドイツに広まり、ドイツ軍は容赦なきスナイパ,ーケーニッヒ
少佐をロシアに送り込んだ。
〜ターニャ・・・愛する君のために今日も僕は一人敵を撃つ・・・〜
ヴァシリの積年の思いはロシアの血にまみれた戦場に届くのか・・・
(原題名:Enemy At The Gate '01/9/29 Up-dated)
監督:脚本:
ジャン=ジャック=アノー
共同脚本
アラン=ゴダード
出演:
ジュード・ロウ
(ヴァシリ・ザイツェフ)
ジョセフ・ファインス
(ダニロフ)
レイチェル・ワイズ
(ターニャ)
ボブ・ホプキンス
(ニキータ・フルシチョフ)
エド・ハリス
(ケーニッヒ少佐)
REVIEW(****)
単なる『戦争映画』というより、ロマンス、友情、忠誠、裏切り、達成、
自己不信、ヒロイズム、残酷性、勇気、様々な要素が新鋭と経験豊かなキャスト陣と
監督の手によって、一人のスナイパーというフレームを通して描かれたドラマでした。
  『セブン・イヤーズ・イン・チヴェット』がワタシにとって初お目見えとなった監督
彼の描く主人公のタイプは話が実話であってもなくても
『映画のストーリーのなかで成長する男性』を描いてる所でしょうか。ブラピが
演じたH.ハラーにしても今回、J・ロウが演じたV・ザイツェフにしても。
 そう感じた映画でしたがそれでも『戦争映画は苦手で・・・』と一緒に見にいった
方は何を感じてたのでしょうかねぇ、はぁ。
『映画は最初の10分が面白くないとダメ』だったら予告だけ見とけ…
と人にカネをださせておいて言う管理人である(トホホ)。
 愛する誰かを守る為にその引き金に全てをかけるヴァシリの姿、国家と人間の
誇りにかけて引き金を引くケーニッヒ少佐、それは大きな戦争のたった一駒の
中なのだと。
 映画ファンとしてヒトコトいうならラストシーン、少し甘いかなぁ・・・
演技としてはE.ハリス、やはり脇役としてホントに上手いです。
蛇足ですが同じキャストで『太陽がいっぱい』やってくれないでしょうかねぇ。
エドたまは刑事役ざます。ロネの役はファインズだなぁ。


スパイダーマン(2001)
小さいころに両親を亡くし叔母夫婦に育てられたペータは冴えない
オタク高校生。隣に住むメリー・ジェーンが好きなのに気付いてもらえず
終いの毎日で、友人も軍需企業オズボーン社の御曹司ハリーだけ。
ハリーは父親の生き方を嫌って公立へ来たものの、彼の父親ノーマンは
化学に才能をもつペーターを息子以上に気にかけだしていた。
そんなある日課外授業で遺伝子組み替えの蜘蛛の実験室を
見にいくことになったペーター。
何かにこじつけてメリー・ジェーンの写真をとっている最中に
新種の遺伝子組み替えの蜘蛛に刺された彼はその日の晩から体に異変が訪れる。
動体視力や跳躍力が増し、手首からは蜘蛛の糸が出、
壁を這えるようになり、ビルからビルへと移れるようになり、ド近眼が
一瞬のうちになおってしまった
同じ頃、ノーマンの体にも異変が起きていた。
研究開発の打ち切りを言い渡された新薬の実験台になった彼は
新薬の副作用により、強靭な体とともに
凶悪な二重人格まで意に反して受け入れることになってしまった・・・
(原題名:Spider-Man)
監督:
サム・ライミ
原作:
スタン・リー
脚本:
デビット・コープ
出演:
トビー・マクガイア
(ピーター・パーカー/
スパイダーマン)
ウィリエム・デフォー
(ノーマン・オズボーン/
グリーンゴブリン)
キルスティン・ダンスト
(メリー・ジェーン・
ワトソン)
ジェームス・フランコ
(ハリー・オズボーン)
REVIEW(***)
前評判があんまりよくなかったので全く期待しないで見にいったんですが、
そうでもないかな〜と。いいんでない、と。
トビー演じる『スパイダーマン』のジミぶりが『いかにもスーパーヒーロー』
してないところがよかった。
『タダの恵まれてない高校生がみんなの誤解に悩みつかれながらも
ジブンの意志で戦う』という時代が求めた『等身大のヒーロー』に
あったのではないでしょうか。
この役の候補にディカプーがあがってたそうですが、いっくら『ダチ公』ムリざんしょ。
『裕福じゃなかったから今でもつましい生活をしている』という
トビーの姿勢が役にも出てた気がしました。
何といっても彼自身だけでなくやっぱり悪役あってこそのヒーローで、
この点はデフォーの十八番。
こういうキャラクターを演じさせたら右に出るものがいないのではということや
実際に学生の息子がいるという、役柄に似た部分も手伝って、
嬉々として演じてた部分も(爆)
こんな悪役の後だったら、後がタイヘンだ・・・タダのブッキーな悪役じゃ
総スカンをくってしまうコト間違いなしだと思う(汗)
特殊効果に甘えない、人間関係を描きながらアクションを見せた
作品作りをしたあたりは、『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』
ヒューマン・ドラマの境地を開いた、監督ならではと思いました。
キャスティングといえばJ.フランコ・・・当時似てると話題になった
J.ディーン、TV映画で実際にやってたのね。


スパイダーマン2(2004)
グリーン・ゴブリンとの死闘から2年。青年ピーターの生活は多忙を極めていた。
大学で科学を専攻する傍ら、新聞社でのバイトに明け暮れる毎日。
そしてひとたび事件が起これば、スパイダーマンとなってニューヨークの街を飛び回る。
一方、女優の夢を実現させたメリー・ジェーンは、ピーターへの想いを断ち切り、
新しい恋人との未来を踏み出そうとする。
ハリーはスパイダーマンがピーターだと知らずに亡き父の会社で働きながら
復讐の機会を伺っていたが、そんな矢先に社内プロジェクトに失敗。
父と同じ道を歩むのか、その矛先は復讐だけに向けられていた
矛盾した友情と、孤独な戦いに疲れたピーターはスパイダーマンを
やめようとする。
が、そんなとき、化学実験の事故で、金属製のアームが肉体と融合し
人格まで凶暴になったマッド・サイエンティストドッグオクが現れる。
彼は自分がこんな姿になったのは、スパイダーマンのせいと言い張った。
『スパイダーマンはこないの・・・?』街が廃墟と化していく中
ピーターは、再び仮面を取る・・・
(原題名:Spider-Man2)

監督:
サム・ライミ
脚本:
アルヴィン・サージェント
原案:
デビッド・コップ&
アルフレッド・ゴー
マイルズ・ミラー
原作:
スタン・リー
スティーブ・ディッコ
出演:
トビー・マグワイア
(ピーター・パーカー/
スパイダーマン)
キルスティン・ダンスト
(MJワトソン)
ジェームズ・フランコ
(ハリー・オズボーン)
アルフレッド・モリーナ
(ドクター・オクタヴィアス)
ローズマリー・ハリス
(メイ叔母さん)
J.K.シモンズ
(J.ジョナ・ジェームソン)
ドナ・マーフィー
(ロージー・オクタヴィアス)
ダニエル・ギリス
(ジョン・ジェームソン)
REVIEW(***)
『ヒーローになるには、捨てなければいけないことが沢山ある
たとえそれが自らの一番の幸せであっても』
それが、『1』から今回にかけてのテーマだったんじゃないかなぁと
思うのだけど、ヒーローに限らず、何かを『仕事』にするときや
 大きなことをやり遂げようとしたときには、必ずといっていいほど
『例え、好きなことでもコトの実現のために捨てなければいけない』
コトがあるのかもしれない。
『あれもこれも』がかえって『人間』を駄目にするという隠れた
メッセージも受取った気がしました。
そして『本当のことを話して誰が判って両手を広げて迎えてくれる
存在』なのかも。
今回の話でピーターがマスクをとったのは、その『確認』かもしれない
ですね。MJは、ああなったし、ハリーはオヤジさんの二の舞になって
しまうのだろうし(号泣)原作ではMJの恋人で出てくる彼もエジキに
なるそうなので、どないなってるんじゃ〜と(汗)ガンバれトビー。
A.モリーナ自身は芸達者で、アレを殆どブルースクリーンで
演じたんだろうなぁと思うと。が、見る側として、『マトレボ』の
センチネル軍団を思い出すあのアームは生理的にいただけませんでした。
+オープニングの絵コンテ『1』のダイジェストを見せるなんてウマイな〜
と思って機嫌よく見てたのに(涙)あ、アタシコレもダメなのよ
『にしゃ〜』とキショく笑うカオがドアップになるのは
デフォーの絵コンテがUPになった途端に目を背けてしまったわ。
そんなワケで点は下がって星三つ。



スパイダーマン3(2007)
これまでの活躍でNYのヒーローとしての責任を感じるように
なったスパイダーマン/ピーターは、舞台女優として活躍する
MJとの交際も順調。内気だったピーターもやっとの思いで
彼女にプロポーズする決心がついたとメイ叔母さんに報告すると
叔母さんは形見の婚約指輪を渡してくれた。
が、その帰り道、ニュ=ゴブリンと化したハリーに襲われるピーター
父・ノーマンの幻覚にとらわれ、薬品事件の末に二重人格になり
スパイダーマンとの戦いの末に命を絶った父の真相を知らないハリー。
このままでは、ハリーは父親の二の舞になってしまう…。
激しい空中戦の末、地上に激突したハリーはそのショックで記憶の
一部を失ってしまう、複雑な思いにかられるピーター。

同じ頃、彼の叔父ベンを殺した真犯人がようやく見つかったという
通報が入った。あの時殺した人間ではなかったのだ。
名はフリント=マルコ。刑務所から脱獄していて捜索中に
素粒子実験セルに落ちて砂と同化し、『サンドマン』として蘇った。
怒りに震えるピーター。そんな彼をあざ笑うように、彼のスパイダースーツに
謎の黒い物体がとりついていたことを彼が知る由もなかった。
怒りにまかせてマルコをおいつめようとするピーターに謎の
黒い物体が覆いかぶさり、ピーターは漆黒のスパイダーマンになった。
今までより強力なパワーに惑わされつつもサンドマン=マルコを倒した
スパイダーマンだが、ピーターの心までも蝕みつつあった。
舞台を降板させられ、疎遠になっていたMJのかわりに大学のクラスメートで
ファッションモデルのグウェンが急接近。
折りしも彼女は、先刻のビルの事故に巻き込まれたときにピーターが
スパイダーマンになって助けて以来、スパイダーマンのファンだった。
そんな彼女に横恋慕しているのが、駆け出しのカメラマンのエディ。
しかも彼はスパイダーマンのネタでピーターの売り込んでる新聞社に
売り込み、ピーターのいるポストを狙い撃ちしようとしている輩だった。
エディはピーターの正体を知らないとはいえ面白くない存在だった。
落ち込むMJはハリーがピーターに復讐する格好の材料にもなってしまった。
記憶が戻ったことを内密にしていたハリーは、MJを呼び出し、ピーターに
わざと別れ話を持ち出させる。
ハリーは本気ショックを受けているピーターを慰めるフリをしていたが
振り向きざまにウソであったことをピーターは見抜き、ジャズクラブで
ウェイトレスをしていたMJにあてつけのようにグウェンを連れて行った。
心はブラックスパイダースーツに蝕まれ、ハリーの策略に乗り、
このままでは自分が自分でなくなってしまう…
 大学教授に分析を頼んでいたブラックスーツの結果を聞いて驚くピーター
それは宿主の攻撃性を倍増させる寄生物質で一度取り付くと取れないものだった。
教会の鐘の下で必死の思いでブラックスーツを引きちぎるピーター。
やがて彼の元を離れた寄生生物は、教会の下にいたエディに取り付き
スパイダーマン=ピーターと判った彼は怪人ヴェノムとなり牙をむいた…
(原題名:Spider-Man3)
監督:脚本
サム・ライミ
共同脚本:
aアルヴィン・サージェント
出演:
トビー・マグガイヤ
(ピーター・パーカー)
キルスティン・ダンスト
(M=J=ワトソン)
ジェームス・フランコ
(ハリー・オズボーン)
トーマス・ヘイデン・チャーチ
フリント・マルコ=サンドマン)
トファー・グレイス
(エディ・ブロック/ヴェノム)
ブライス・ダラス・ハワード
(グウェン・ステイシー)
J.K.シモンズ
(J.ジョナ・ジェイムソン)
ローズマリー・ハリス
(メイ・パーカー)
ジェームス・クロムウェル
(ステイシー警部)  
REVIEW(****)
 真ん中あたりは『映画館出てやろうかな〜』というぐらい
点もつけられない胸クソ悪い展開でしたが、終わりが彼の監督作
『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』に匹敵するぐらいいいテーマがあったので
点があがりました、アメコミならではの『出来すぎ感』も
ありってコトもあるのですが、原作にない『自分を超えて赦しを得る』を映画の中に
盛り込んだあたりに監督の力量を感じたのとマーベルの三部作
『X-men』と違って同じ監督同じ主演でケリをつけて貰えた
という所に胸のつかえが下りた感じもしました、エ?だからまだ『X-men』の
ラストの感想書いてないのって?それは後ほど…

 ベン伯父さんが『大きな力には大きな責任がともなう』が
三部作の一貫したテーマになってて、心はフツーでイケてなかったピーターが
いきなり『イケだした』ことで『調子にのりだした』ことから『自分のまいた種』が
キツい言い方をするとどんどん広がっていく、一番最初は賞金稼ぎで
出ようとしたら大切はベン伯父さんを失ってしまう。でも今回、伯父さんを
殺したサンドマンの哀しい過去が明らかになる。
何度砂嵐になっても、ロケットの中に入ってる娘の写真への思いの故に
死ぬことができないサンドマン。
横恋慕で暴れまくったエディや父親の復讐を執事にいわれなければ
気がつけないハリーより苦しいのだろうなという。
なんつーか、今の若いコは『都合悪かったら散々あばれて死んでオワビします』
というトンデモなご都合主義なこの映画でも出てしまってる気がする。
ハリーにしても、土壇場で命をかけるカクゴがなければああやって
ピーターの元にかけつけるワケもないわけで、ただ生ぬるい関係なら一生ネチこく
復讐してるのだろうなと。エディにしてもスパイダーマンの悪事を
とってやるぞとか、ピーターに悪いコトありますようにとか教会でセコい願いごと
してああなる末路ってのも。(あの変身シーンは、体中に液体流されて
四方八方から釣竿で引っ張られる超イタイ撮影だったそうなので、演技
どころじゃなったらしい…)。
『生きながら責任を真っ当していかなければいけないこともある』というラスト
シーンのもって行き方はいかにもサム=ライミらしくてよかったです、ハイ。
演じるサイドとしては『自分がどれほど友人を信じているのか
ジレンマにおそわれる姿を表現したかった』というのがトビー、キルスティン、ジェームス
と三部作に出ている主演三人の弁。
相手をどれほど信じているのが判らないから相手を怒らせる
形でけしかける、それがスパイラルになって一人の親友の『死』を
ともなわなければ修復できなくなってしまう。
それはもうやめるべきだ。望まずしてなったヒーローであったとしても
そんなメッセージのこめられた作品にも思えた映画でもあった。


小説家を見つけたら (2001)
聡明なバスケットボール選手のジャマールは、ブロンクスから
マンハッタンにある名門校への奨学金の切符を掴む
そんな彼が読書好きで、小説も書くことは、仲間内にも
 知られていないことだった。
彼がいつも気になっていたのは、アパートの窓の所から双眼鏡で
外を見ている謎の老人。誰も彼が外出しているのを見たことが
ないという。
ジャマールは仲間内にそそのかされ、アパートに忍び込む役を
やらされたのだが、彼は老人の部屋の膨大な蔵書に、感銘を受け、
蔵書の中から出てきた老人の大声に、慌てて、自作の小説の入った
バックパックを彼のアパートに、置き忘れてしまう。
翌朝ジャマールが老人のアパートの前に行ってみると
無造作に彼の部屋からジャマールのバックパックが
投げ返された。さらに、彼を驚かせたのは、バックパックの
中の自作の小説に、的確かくこと細かく、注釈をつけてあった
ことだった。一体彼は何者なのだろう・・・。
疑問を胸に、マンハッタンに向かったジャマールだったが、
その疑問は思わぬ形で解けることとなった。
彼の名は、ウィリアム・フォレスター。
処女作で、ピュリッツアー賞を受賞し、それ以来一度も
作品を発表していない幻の作家だったのだ。
ジャマールはウィリアムを再度訪ね、小説の手ほどきを
書いたものは表に持ち出さない、彼が関わっていることは
表に出さないことを条件に受けるが・・・
(原題名:Finding Forrester)
REVIEW(****)
監督:
ガス・ヴァン・サント
脚本:
マイク・リッチ
出演:
ショーン・コネリー
(ウィリアム・フォレスター)
ロバート・ブラウン
(ジャマール・ウォレス)
F.マーリー・エイブラハム
(ロバート・クロフォード)
アナ・パキン
(クレア・スペンス)
梅田のソ○ーの試写室で見たですが、60席あるかないかの
こじんまりした、試写室というのはナカナカいいぞよ。
某タ○レコさんありがとうございました。もうないのでしょうか(汗)
締め切りギリギリに出したのに、当たったという。
映画の雰囲気に合った、試写会でナカナカよかったです。
でもってコネリー自身も『王になろうとした男』以来の
バディ・ムービーということで、製作も兼ねる意気込みよう。
フォレスターの書斎にも彼の趣味が伺えます。
それぞれの俳優・女優さんの演技や役がぴったりでよかったですし、
M・マーリー・エイブラハムは彼の当たり役のサリエリを思い出すよう
ネタバレになってしまうのですが、ラストシーンの弁護士役で
M・ディモンを使うあたりも憎いですね。
話としては、フォレスター自身、自らの考えを受け継いでくれる
誰かをずっと探していたのだけれど、もうそれを探すことに
疲れてしまった・・・。人とのふれあいに傷つき疲れ、信頼することも
忘れてしまったときに、ジャマールが現れた、まだそんなに
捨てたものじゃない、と。
それを気がつき、心を開きかけたときには、彼自身、もう
遅かった『何か』が彼を蝕みつつあったのだから。
また、それが、フォレスターがジャマールに『恩返し』をする
あのクライマックスにつながったのかもしれません。


17歳のカルテ (1999)
時は1967年。17歳のスザンナ・ケイセンは、ごく普通のアメリカのティーンエイジャーだった。
パーティのことしか頭にない父。すぐに泣く母,高校に進学せず作家に
なりたいとう、この頃なら誰かしらもっていた夢でさえも理解
してくれない周りの人間達。本気で打ち解けられる親友はいない
混乱し、不安に苛まれ、アスピリンを大量に飲んで自殺を図った彼女を両親は
クレイモア精神病院へ送る。
スザンナが何より驚いたのは、病院内の患者達。
初めて見た患者のポリーは、アトピーの原因である飼い犬を捨てるように
言われ顔半分にガソリンをかけたため顔半分がただれている。
ルームメイトのジョージーナは病的虚言症で何を言ってるかわからない。
部屋に『進入禁止』の看板をかけているデイジーは、甘やかされたパパっ子で
父親の持ってきてくれるローストチキンしか食べられず、下剤を飲んでいる。
そして脱走からかえってきてばかりで、ここに八年いるという
リーダー格のリサは、かつてのルームメイトが首をつって自殺した
という程、際限ない正直すぎるまでの言葉と行動の暴力にでている、
エキセントリックさを持っていた。
そんな病棟では強制的に睡眠薬を飲まされ、安全確認のため数分おきに
チェックが入り、入浴の時でさえ監視がはいる絶望感にさいなまれる
スザンナ。
そんな病棟でリサをはじめとする患者達から、どうやって病棟内で
生きていくかを教わるのだが・・・
(原題名:Girl Interrupted)
REVIEW(**)
監督:脚本
ジェームス・マンゴールド
共同脚本:
リサ・ルーマー
アナ・ハミルトン・フェラン
原作:
スザンナ・ケイセン
『思春期病棟の少女たち』
出演:
ウィノナ・ライダー
(スザンナ・ケイセン)
アンジェリーナ・ジョリー
(リサ)
クレア・デュヴァル
(ジョジーナ)
ブリタニー・マーフィー
(デイジー)
エリザベス・モス
(ポーリー)
ジャレット・レト
(トビアス・ジェイコブス)
ジェフリー・タンパー
(ポット博士)
ヴァネッサ・レッドグレイプ
(ウィック博士)
ウーピー・ゴールドパーク
(ヴァレリー)
アメリカ人にとって、ケネディ暗殺後のこの時代というのは
大人だけでなく原作者の年代にも、先の見えない深い影を
落としていたのだと思う。
原作者自身 『1958年、1978年でも1988年でも入院していなかった』と
断言してしまえるほどなのだから。
彼女が特別というわけでもなく、誰もが不安な境界線にいた時代で
親がささえてやれなかったのだろう。
「どうしてあんなところに入ったのか、と人は尋ねる。彼らが本当に知りたいのは
自分たちもそこに入るなんてことがあるだろうか、ということ。本音の方の質問に、
私は答えられない。言えるのはこれだけ……入るのは簡単よ」
という答えは的を得ている。大抵、なんらかの病気になった人に
『どうしてそうなったの』と聞く裏には『自分もそうなってしまったら
どうしよう』という明日の自分への危険があるからだ。
彼女たちが『入るのは簡単よ・・・』と答えたなら、
『本当に心配してくれてるわけでもないのよね・・・』という絶望感のもと
だと思ってもいいかもしれない。
また、この話は、たまたまこういう所が、舞台になってるだけであって
個人的に見て『同じ趣旨をもった人間があつまる所』であれば、
どこでも起こりうる話だと思うのである。
ラストでリサがスザンナの日記を見つけて、地下室で読み上げるシーン
にしても、ネットでありもしない黒い噂をばらまいて一つのサイトを
コケにしている風景と同じようなものだとおもう。
リサが『ここで生き易いようにしてやったのに』と攻め立てる姿に
『ここでしか生きられない貴方は既に死んでいる』という。
そうなのだ、『ここでしか生きられない』人間や『ここ以外にも
何とでも生きていけるわ』と言い訳して努力をしなかったり、
ぬるま湯状態の人間を何人も見てきた人間として、映画の中で
アンジー演ずるリサが、取り巻きをつれて『かくまわれた自由』
をふるまう姿の姿が、モノクロームに映った。
そんな所に頭のよさをつかって何になるのだろうと・・・。
スザンナは、最終的に自分自身も他人も許すことで病院を後にする
のだけれど、それは私たちにも普通に出来ることだろうか。



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